プロフィール

aopyです。

このBlogはこれまで突発的に作っては廃墟化していた他Blogを統合しながら、新設するものです(なので最初の内ほとんどは過去Blogのサルベージ記事になります)。

 

自分のまとめページは、

bluestypewriter.jimdofree.com

詳細なプロフィールは、こちらこちら をご参照ください。

作詞・作曲・編曲、フロントマンを務めているバンドは、

bathroomsketches.jimdo.com

よろしくお願いいたします。

 

なお、サルベージしてくる過去Blogは、すぐ廃墟化した個人Blog「青色灯」、1stフルアルバムリリースに際して起ち上げられたバンドの期間限定Blog「Bathtub」の自分の記事、(勝手に)ART-SCHOOLSPITZGRAPEVINEの楽曲を全曲解説していく途上で遺跡となってしまっていたBlog「Self Service」からになります。

「テュペロ・ハニー」

 

4thアルバム『Flora』のリードシングルと言えよう、ROVOシンセサイザー・プレイヤー、益子樹氏と初めてタッグが組まれた作品。第二期の2ndシングル(なおCD音源としては現時点でARTのディスコグラフィーにおいて、最新のシングルでもある)。

 

【特徴】
パワーポップニューウェーブのニュアンスが強いタイトルトラックに象徴されるように、いずれも過去の楽曲より爽やかな印象を与える。
・益子氏はプロデュースやミキシングを担当。全曲シンセサイザーで参加してもいる。使用機材はFM音源の名機・YAMAHA DX-7(デジタル)とアナログの名機の一つ、Roland SH-101(クレジットより)。
・ジャケットはファン公募作から採用。

2006年12月発売。限定生産盤。 

 

テュペロハニー

テュペロハニー

 

 

続きを読む

『Missing』

 

自主制作限定盤として発表され、入手困難となっていた第二期ARTミニアルバム3部作の前2作、『スカーレット』と『LOST IN THE AIR』の収録曲に新録2曲を加えて発売された企画盤。

 

【特徴】
・木下氏の自主レーベル・VeryApe Recordsではなく、ポニーキャニオン(ROCKER ROOM)からのリリース。
・ジャケットの女性は、フジテレビ系の恋愛エンタメ番組『あいのり』(スピッツが「スターゲイザー」を主題歌として提供した)に出演していた女性を映して、表情を切り取った虚無的なもの。

・初回盤には「フリージア」のPVと4曲のライブ映像(「BLACK SUNSHINE」「スカーレット」「あと10秒で」「Fade to Black」)を収録したDVDが同梱された。

2006年9月発売。

 

Missing(初回限定盤)(DVD付)

Missing(初回限定盤)(DVD付)

 

 

続きを読む

Self Service移植(はじめに/注意/プロフ)

(※これは(勝手に)ART-SCHOOLSPITZGRAPEVINEの楽曲を全曲解説していく途上で遺跡となってしまっていたBlog「Self Service」の移植記事です。移植日:18/6/23)

 

「はじめに」(注意事項)
・全曲解説は、元々はパブリックで音楽について書くようになる前からあったART-SCHOOLへの熱愛が高じて始めたものですので、あくまで「(勝手に)」がキーポイントです。彼らの音楽から様々な他の音楽、文学そして映画などなどにリンク(導線作り、数珠つなぎ)できるように、また自分が彼らを聴いて感じた所感をしたためようと思い、作りました。

スピッツ、ART、VINE全て大体は過去の音楽誌などのインタビューや単行本、音楽情報サイト、Twitterなど(詳しくは下記)から得た情報ですが、どうしても独断が先立っておりますのでご了承を。

・主にARTなどの引用ネタは様々な音楽を聴いていく上で偶然出会って気づいた物がほとんどなので、独断によって、こじつけてる部分が多いです。ただし、前記のことから確証が薄くとも「できるだけ近いものは挙げよう」の精神で示しております。
・ご覧いただければ分かるのですが、スピッツVINEでは前半部分に長いイントロダクションを、ARTでは(解説の性質が違うので)短いイントロダクションを挟んでいます。

・まあ自己満足なところが大きいので、適当にゆるりと見てください。

 

<プロフィール>

■ニックネーム:aopy

■主な参考資料:Spitz:単行本『スピッツ』『旅の途中』・ROCKIN'ON JAPAN誌・MUSICA誌・別冊宝島誌(Vol.36.46)、Twitterのマサムネbot,シロイヌbotなど

ART-SCHOOL:各盤ライナーノーツ・MARQUEE誌・ROCKIN'ON JAPAN誌・MUSICA誌、狂人日記、木下氏・戸高氏・日向氏・大山氏・櫻井氏のTwitterアカウントなど

GRAPEVINE:単行本『書生・田中和将の"とんと、ご無沙汰。"』『田中牛乳』・ROCKIN'ON JAPAN誌・MUSICA誌・音楽と人誌・ぴあ誌・Twitterの田中botなど

 

Spitzは『インディゴ地平線』がリリースされたくらいの頃から、

ART-SCHOOLは『PARADISE LOST』がリリースされたくらいの頃から、

GRAPEVINEは『Chronology』がリリースされたくらいの頃から、

リアルタイムで聴き始めました。

 

Spitzの最も好きな盤は『フェイクファー』、特に好きな3曲は「フェイクファー」「日なたの窓に憧れて」「プール」、

ART-SCHOOLの最も好きな盤は『LOVE/HATE』、特に好きな3曲は「水の中のナイフ」「LUCY」「LOVERS LOVER」、

GRAPEVINEの最も好きな盤は『Lifetime』、特に好きな3曲は「壁の星」「HOPE(軽め)」「フィギュア」です。

普段はオルタナティヴやインディ感覚のあるバンドが邦洋問わず好きで、特に90年代オルタナ周辺のサウンド、価値観、スタイルに最も共感しています。一方、邦楽もよく聴いています。 中でも80年代のテクノポップは特に聴いています。 
時間的に万が一、余裕ができればP-MODELの全曲解説もしたいところ。

Mac対応合成音声について(Mac版UTAU・VOCALOID、TtSなど)

(※これは廃墟となっていた過去のBlog「青色灯」のサルベージ記事です。サルベージ日:18/6/22 オリジナルのポスト日は投稿日時参照)

 

かなりの急遽、時間ができたので、ブログを更新します。
ブログはある程度の文を書ける時間が(大概の場合、急遽)できた時に、その時に考えてたことを自分の中でもまとめみたいなものとして、書いていきたいと思います。


今回はMacにも対応したらしいVOCALOIDについて書こうと思います(という書き出しでいったけど書いてる内に合成音声全体の話になったのでタイトルだけ変えました)。
と言っても、例えば08年12月号のユリイカ誌特集のような…例えばキャラクタ論だとかデータベースとシミュラークルだとかn次創作だとかアーキテクチャに支えられる云々などの現代思想っぽいやつではなく、音声合成に興味があるMac使いの人間として雑感を書きます。

また、自分は「VOCALOIDシーン」のことを全くといっていいほど知りません。
恐らく核になる場はニコニコ動画とかになるのでしょうが、いわゆるボカロシーンのオリジナル曲はsupercellの「メルト」「ブラック★ロックシューター」の2曲しかちゃんと聴いたことがないです。
それに何より自分は純正のVOCALOIDソフトを操作したことがないです。また、誰かが操作しているのを見たこともないです。
その上、どのソフトがどういったキャラ付けがなされているのかもほとんど知りません(初音がネギを持っているなどは知っていますが。個人的にはあのキャラクタ文化はそれほどシンパシーを抱いていません)。

個人的にはVOCALOIDの各ソフトを「バーチャルリアリティの人格(キャラクター)」としてはあまり考えていません。
どちらかと言えば「音声合成技術の結果でた合成音声」「ボーカルシンセサイザーという楽器ソフト」と捉えています。その元の発声者から分離されたn次創作的なキャラ性やDTM好きの内気なアマチュアアーティスト達を押し上げた技術などとしてで一旦なく、この2つとしてVOCALOIDをみると結構興味があります。

何かあえて極端なことを先に書いてしまうと「ボカロP」という言葉がどこまでの範囲を指すのか詳しくは知りませんが、もし純正VOCALOIDソフトを使わずに合成音声を用いた曲を制作した人まで含むとしたら、デジタルユニットのMoles Regimeにおいて、UTAUや音声素材を使った曲が数曲あるので、自分もボカロPということになるのではないかと思います。
と言っても、ソフトに対してP(プロデューサー)という呼称を用いるのに違和感があるのに加えて、先のようにボカロシーンについては全く知らない上に、それらの合成音声を前面に押し出して歌唱させることもしてなくて、適当にでっち上げたインストのバックで鳴る環境音みたいに使ってるだけだけど…


「歌う(話す)楽器・音」として、合成音声には興味があって自分でも使っています。

個人的に初めて合成音声が使われている曲を聴いたのは、中高時代にRadiohead『OK Computer』を聴いた時で、「Paranoid Android」で憂鬱なメロディでThomの絞り出すような声のバックで"I may be paranoid, but not an android"と無機質なコンピュータが喋ってるのとか、まあやっぱり何と言っても「Fitter Happier」ですね。成長神話に基づいた「病的なまでに健康で理想的な」英国男性の生活様式を不気味なまでに淡々とコンピュータボイスで読み上げさせた挙げ句、最後の最後で「ブタ/檻の中のブタ/抗生物質漬けのブタ」と言い放って終わる超不条理な曲。初めて聴いた時、うおーと思いました(適当すぎる感想)。
これらはMacのスピーチ機能だったような
…と思って調べてみたらやっぱり当時のMacのテキスト読み上げ機能(TtS)。
さっき自分のMacで「Fitter Happier」の歌詞を打ち込んで読み上げさせてみたら(OSが更新される毎にTtS機能もより成長するとのことで、今自分のはMavericksですが)当時より相当発音が自然で綺麗でした。ビックリ。

後からP-MODEL『S/T』や平沢さんの諸々のソロ作とかを聴いて、それより前の曲でTtSを使っているのがあるのを知ったり。
あれは平沢さんの好きなAmigaのSayコマンドですね。
っても、これらってまあ歌ってるってより合成音声が「話してる」のを曲に取り入れてるって感じですが。


まあそれより前から合成音声「っぽい」体験ならヴォコーダーがありましたしね。
そういう意味で合成音声「っぽい感じ」の原体験なら中学の時に聴いてたPOLYSICSじゃないかなぁ、と。無意識に聴いてたというのも含めると、PUFFYかBugglesかYMO
もちろんKraftwerkとかHuman Leagueとか後で聴き出す訳ですが。で、高校途中からPerfumeが猛威を震うようになって。
あとは少し余談なら声をエフェクトかけて変えるという意味では、(これはもう既にVOCALOIDブーム以降だけど)神聖かまってちゃんの一連のボイチェン曲もかなぁ(ヴォコーダもボイチェンも合成音声ではないけど、原音にエフェクトをかけてほとんど別の声に聴こえるレベルまで遠ざけてるので、聴く耳では合成音声に近しいものがあるかな、と)。

それらの経験があって、初音が有名になってVOCALOIDという技術そのものが出て来た時は、そのキャラクタ文化や消費のされ方はともかく、結構違和感はなかったです。
何となくの感覚ですが、VOCALOIDKraftwerkや一部のテクノポップのアーティストのモチーフだったレトロフューチャー的なSF感が実際に具現化したように思えます。


VOCALOIDのブームみたいなのが一旦、収束してきたあたりで、楽器として使ってみたいなぁとは思ったことが数回程度あったんですが、何かその構想(というより妄想)の段階から既に、VOCALOIDを曲の前面に出して(綺麗に調律して)歌わせようとは、あまり思えなかったんですよね。
具体的には、ただの合成音声が淡々と何か意味のある言葉を発することの不気味さを出したり(これ相当難しいと思うのですが)、特定の「歌詞」を歌うのでなく単体では言葉の意味をなさないスキャットをさせる(これは平沢さんが実際にLOLAを使って「白虎野の娘」とか「確立の丘」でやってることですね。これも難しいと思う)とか打ち込んだ声をまるまるリヴァースを逆回転させて環境音として使うだとか意味のない絶叫だけを担当させるだとか、そういう嫌らしい感じです。


と言っても、まあそれ以前にそもそもVOCALOIDって(自分が幼少時から使っている)Macに長らく対応してなかったんですよね。笑 これは痛かった。自分の使っているDAWはLogicです。

数ヶ月前までMac環境でVOCALOIDを使うならば、ブートキャンプなどでWinOSを立ち上げて、そこで一旦WinにしたMac上でボカロをエディットして、そのデータを(Mac専用のDAWを使うならば)MacOSに持ち帰って…ということをしなければならなかったらしいです。
詳しくは知りません。と言うのも、これって話を聞くだけでも、手間がかなりかかりそうだし、費用も相当かかるのではないかって思えたのです。
そうなると、明確にVOCALOIDを前面に出した楽曲制作をしたいと強く思っている人でないと、敷居が高い。VOCALOIDソフトそのものの費用もかかりますしね。Winそのものを新しく買うとかでもいいと思いますけど結局、相当お金かかりますし。
自分のような面白い音声合成ソフトあるいはボーカルシンセをちょっと触ってみたい的な、まあ言ってしまえばミーハーは簡単には手を出せなかった。自分は音楽制作はバンドをメインでやってるので、音楽制作のお金はそちらに回っちゃいますし。


でも、こういう人って少なくなかったと思います。
ちょっと触ってみたい。でもマカーとしては敷居が高い。
もちろんそれなりにお金がある大人だったりDTMに熱心に打ち込んでいる学生などにとってはそんなに大したことないと思いますが(Mac環境から動かすだけならどれだけ高くても総額5,6万以下と思う)、VOCALOIDを軽い気持ちでとかギミック的に使ってみたいというマカーは結構いたと。でも基本はVOCALOIDってWin市場なんですよね。

そこで「歌唱合成に興味があるマカーの(Win占有の)ボカロコンプレックス」みたいなの(があるとしたら)を引き受けて登場したのが、Mac音家シリーズだったと思います。制作陣も明確に「WindowsVOCALOID」に対抗するとしてましたし。

ただこれら、音声素材だけでエディット機能はないんですよね。なので、合成自体は専用のエディタとかがあるわけでなくLogicなどで自分でやらなければならなかった。VOCALOIDに対抗すると言うよりは、MacOS環境のみで有名な声優の方の声素材を使って擬似的にVOCALOIDっぽい感じを味わうというのに近いでしょうか。


で、それのリリースの数ヶ月にUTAUがMacOSへ試用として移植されました。UTAU-Synth。
重音テトなどの音素材で有名な音声合成技術ですね(これでMac音素材を動かせるようになったので、実質Mac音シリーズはこれの機構に吸い込まれる形に近かったような)。
個人的にUTAUは、その制作の経緯や設計思想からVOCALOIDより企業が介入している割合が少なくて、よりインディ的であると思ってて、楽器を使う上での思想スタイルとしては、よりクールだと思っています。

VOCALOIDブームは何はともあれ企業先導のムーブメントなのに対して、UTAUは基本的には(これもVOCALOIDに対抗する勢力としてより技術的にも発展したと思いますが)有志のネタ的コミュニケーションや好奇心から生まれたもので、そこに企業的ブランド力はないけれど、最初はただの声素材であるものにそれぞれユーザーがブランドを形成していってる感じで。また基本的にはフリーウェアで、声素材もそれを提供するユーザーの数だけどんどん増えていく、しかもそのほとんどがフリーで…とDIYの感覚が強い。VOCALOIDの各ソフトよりはまだUTAUの各素材の方が少しは知ってるんですが、例えば重音テトの誕生もある種のブラックユーモアがあって、そのユーモアをより現実化していってる感じが良いです。
それにWinではもっと初期からリリースされてたので、VOCALOIDを使わずにUTAUを使うことってある種のニッチ感があったと思います(その貧乏くささもパンクス的な感じで、それを使ってできた音楽も商業ラインにのってるの以外では基本1から10までほとんどファンベースというのはインディ感がありますし)。


と、その楽器としてのシステム面はおいておいてスタイル的な部分で褒めまくってましたが、自分が何度かMacOS移植版を触った感覚では、個人的には操作性に欠けるという印象でした。少なくとも直感的に音を操作するという感覚はなかったです。まあほとんど説明書も読まずに参考サイトも見ずにやったのも問題ですが。
ただ音声ライブラリが多いので、多分マイナーものは本当にマイナーなので、メインVoに据えたりせずにコーラスに用いるなど先に書いた使い方なら、よりキャラ文化から離れた(それをプレイヤビリティとかに求めないならば)楽器的な側面は強いかも。Molesの一部では重音テトと駒音クウという素材を使っています。


楽器としてみてもスタイル云々いってる感じがしますが、これは楽器にも一つ一つキャラというよりもそれに付随する思想スタイルみたいなのがあると思ってて。
「僕はジャガーよりジャズマスターが良い!」とか「私はレスポールよりSG!」っていう個々の美的感覚のレベルではもちろん(楽器は見た目が大事というのは本当だと思います。もちろんどんな見た目が「良い」かは個的にわかれますが)、この操作性が云々とか実際の音とかのスペックなどより前に「自分の好きなアーティストの~が使ってたからこのベースにした!」ってのもありますしね。あとは楽器萌えみたいなのってあると思います。TR-808みた瞬間ウズウズするとか。
例えば、自分は高校からメインギターはずっとムスタングを使ってるんですけど、自分のプレイテクニックはおいておいてもやはりスペックの高いギターとは言えない。物凄く操作性に欠けるサウンドだし、目立つといえば目立つけどほっといたらアンサンブルで悪目立ちするし、たいして軽くもない。しょっちゅうチューニングが狂うのは勘弁なのでブリッジのバネは外してるので、実質、構造自体は逆位相のついたデュオソニックに近い。
でも、ムスタングはめちゃくちゃ好きで、手放せません。手のかかる子ほど可愛い(ムスタングって本当「おてんばな生娘」ってスラングにピッタリかと)という感じもありますが、それがシーンでどんな立ち位置であるとかアーティストでは誰が使ってるとかも含めてです。もちろん他にも色々な要素があります。ムスタングに関する書籍何冊も買い漁ってた時期もありますし。ムスタングを持つという一つのスタイル()ですね。


という風に合成音声でも、どの素材を使うかによってスタイルって出ると思ってて。それは各素材に配されたキャラクタとは別のベクトルでのスタイル…といってもどうしてもキャラクタと相関しますが。
VOCALOIDの初音を使うなら初音を使う人なりのスペック以外での思想が、UTAUの重音を使うのなら重音を使う人なりのスタイルがあると思います。と言っても、良い意味でラフに聴いてる側は、いちいちこれはVOCALOIDでこれはUTAUで、とか明確に区切ってないのかも知れません。でも、個人的にはそのエンジン部分の構造も含めて楽器としてのスタイルだなぁと思っています。
そういう意味でLaLaVoiceのある声質に固執するとか、CeVIOに固執してみるとかもですね。


それにUTAUの面白いところは、エディタ部分が統一されてるのでどんな素材を使っても良い=自分や周りの人の声をいちいちWAV録音して分解して、曲の中の歌声として再構築するとかもできるところですね。まあ実際やるかは別として最初から、(しばしば違法に)サンプリングされた素材を再構築して「歌」にすることを見越して設計されてますし。
最近、UTAUの素材として声を提供していた妻を亡くされた夫の方が生前の妻の素材から歌を作って公開した、というニュースをきいたことがあります(曲そのものを聴いた訳ではないですが…)。データベースに一度モジュールとして配置してしまうということですね。


とまあ褒めすぎた感がありますが、楽器としてみた時には「弾きやすさ」に相当する部分もかなり大切なので、現時点で曲の中でギミックとして使うだけとみてもUTAU-Synthは使い辛いという個人的な印象があるのも事実ですが。

あとはMac特化だとSugarCapeというボーカルシンセも試したことがありました。しかし個人的な感覚ではさらに操作性がなかったり、単純にユーザが少なく情報がほとんどないから手探りでしかできないという。。といってもUTAUがMacに移植される前のソフトなので、すごい方と思いますが。


などなど色々とMac側もWin占有のボカロコンプレックス(?)から策を講じた訳ですが、どれも画期的な成功を収めた感じはなかったような。UTAUはWin移植ですしね。それに(Winでも使ってる人みたことないから憶測ですが)Mac移植版より元のWinの方が相当使いやすいんじゃないのかと邪推してます。


まあそういう状況の中、やっとVOCALOIDが10周年ということでMacに対応したらしいのです。
正直、昨日もう既に発売してると知りました。最近、ソフトウェアじゃなくてハードウェアのシンセの方に関心がいってたのもあるかも。

ただ、これ現時点では2種類、「VOCALOID Editor for Cubase NEO」を買うか「Piapro Studio」が同梱されているソフト(現時点で『初音ミクV3』のみ)を買うかなんですね。

VOCALOID for CubaseというのでMacにも対応するらしいとは知ってましたが、正直完全にスルーしてました。
と言うのも、Cubaseユーザーではないからです。一応、Cubase6 Leはインストールされてるんですけど、ほとんど触ってなくてもっぱらLogicのみです。しかし、音声ライブラリはVOCALOID for Cubaseの方がいっぱいあるんですよね…まあYAMAHAさんなのでCubaseと抱き合わせで買わせようという感じなんでしょうけど。。

でも、これ個人的に思うのはマカーの自分みたいな楽器としてのミーハー層だったりコンプレックスを持っている人が期待としてたことって「MacOSのまま」はもちろん前提条件で「できればMac特有のDAW(例えばLogic、Digital Performer…後者は去年、Winにも移植されたけど)にプラグインとして利用可能」であることだと思えるんですよね。。
CubaseMacで動かしている人もかなり多いと思いますけど、個人的に自分の周りでCubaseを使っている人はWinユーザーしかいないし、何と言うか…エディタがCubaseしか使えないとなればCubaseってWinでも使えるし、やっとVOCALOIDMacにも!みたいな感覚ってそれほど大きくない気がします。個人的にはキャラクタ設定がなされておらず、楽器としての側面がより強いVY1とかがこっち側に入っちゃってるので残念。
まあと言ってもLogicユーザの面倒臭がりですが。でもクリプトン社の新エディタPiapro StudioでプラグインとしてVSTにもAUにも対応というのは先に挙げたマカーの期待してたことをかっちりやってるなぁという印象があります。

後は個人的にはもうキャラクタとして色んな文脈が混在しまくっている初音ではなく、他のソフトもPiapro Studioで使えるようになれれば、何らかの製品は欲しくなるかもしれない(お金ない上に実際合成音声は曲のギミック程度にしか使う気はないので実際には買えないが)。クリプトン社のものは恐らくPiaproエディタはつくとして、平沢さんもライブで使ってたMEIKOは一回試してみたい…
あとは先のMac音シリーズが遂にVOCALOIDMacに対応したことで、やっと音素材だけが存在するのでなく、正式にVOCALOID入りするとのことで、よりマカーフレンドリーなUIのエディタとかついてくれたりなどこちらも応援したいですね、マカーとしては。


でも何だかんだいってVOCALOIDは高い。このブログを書く為に検索するまで知らなかったんですが(それほどVOCALOIDって遠い存在でした)、1.5万以上しますしね。

ということでまたUTAUエンジンに戻ります。まあと言ってもMolesにおいても合成音声ってこれからほとんど使わないと思いますけど…

配信ライブ詳細告知&Pizzicato Five『Overdose』(レコメンド)

(※これは廃墟となっていた過去のバンドBlog「Bathtub」からのサルベージ記事です。サルベージ日:18/6/22 オリジナルのポスト日は投稿日時参照)

 

HPやTwitterFacebookページ、また当ブログでまつ氏が告知していますが、Bathroom Sketches、初のUst中継ワンマンライブ「可視浴」を開催します。

 

 

アルバムリリースに際してのライブでもあるのですが、制作中からリリースライブはスタジオのUst中継ができるステージで行おうと決めていました。と言うのも、今回アルバム制作に関わって下さった方はもちろん、アルバムをお買い求めくださった方も、またアルバム一言コメントを寄せて下さっている方も、首都圏在住の方や九州の方までおられて物理的に京都や大阪をはじめとする関西圏に観に来ていただくのが困難な方も多いと思われ、ならばUst中継でスタジオのライブステージで行えば遠方の方も観られると思っていたからです。それにBathroomsは(まだまだなところばかりですが)ウェブコンテンツを充実させていくバンドにしていくことをザヌが参加した時くらいから念頭に置いていたからです。これからライブだけでなくUstで色々な配信をしていく予定です。

YouTubeと言えば、「Bathroom Sketches1stフルアルバムリリース&配信ライブ告知」と題したグリーティング動画をアップロードしました。
是非ご覧ください。動画の制作はザヌがやってくれました。

ライブタイトル「可視浴」は僕が考えました。
先にも書いたように、なかなか引きこもりがちなバンドっぽくなっているので、「可視」のものであるとすることでVisibleなライブにしようと考えています。
現在リハーサル中ですが、但馬さんが加入して初めて完成した新曲も含めて10曲以上プレイするUstワンマンならではのものになりますので、是非11月17日22:00~23:00はライブをご覧いただけると幸いです。

 

さて、前回のザヌの記事にも書いてありますが、彼が「バンドのブログで各メンバーがそれぞれ最近聴いている音楽のレコメンド記事を書くのはどうか」という提案をしてくれました。
このアイデア、いかにも僕が考えそうですが、全く考えてなくて彼の提案にメンバーがのった形です。

ということで、僕は今回はPizzicato Fiveの8枚目のフルアルバム『Overdose』(1994年)について書こうと思います。

 

青野がこういう企画で書き始めたら、「洋楽で」「一昔前の」「(インディーロックやらポストパンクやらトゥイーポップやらシューゲイズやら何やらを含めた広義の)オルタナティヴか(インディトロニカやテクノやニューウェイブやらレイヴを何やらを含めた)電子音楽の範疇の」アルバムについて嬉々として書くだろう…と推測する方が多いと思われるので、あえてそれらから少し離れていて、最近よく聴き返しているPizzicato Fiveについて書くことにしました。

今日の昼は『Overdose』日和な雨上がりの陽の当たる通りで水たまりが反射するような景色だったのもあります(まあ夜は物凄く寒くてかなり久しぶりにデンマークコペンのシューゲイズ/ドリームポップバンド、The Late Paradeの『In Chase of Red Beads』を聴いてたので、それにするか迷ったんですが、先に書いた範疇に入ってしまうのでやめました)。


さてこの『Overdose』、個人的にはPizzicato Fiveのキャリアの中では最も好きなアルバム。このアルバムに出会ったのは高校生の頃に鶴見済さんの著書『人格改造マニュアル』の中の「抗うつ剤の効果を高めるような、あるいは認知療法のBGMになって、明るく、それでいて抑うつ的な時に聴いても嫌にならないような『明るくなる曲』」として紹介される15曲の中で、「ハッピー・サッド」が挙げられていたので、それを手がかりにして、でした。


一般的にはPizzicatoと言えば、彼らがブレイクするきっかけとなった大名曲「スゥイート・ソウル・レヴュー」、
アラビアンなメロディとポップセンスがうまく折衷されたメロディの上にキュートな歌詞、でも"いつまでも2人、遊んで暮らせるなら/同じベッドで抱き合って死ねるなら"なんてドキッとするフレーズも出てきて今年の京都アニメーションの作品『たまこまーけっと』で渋谷系を意識したOP曲「ドラマチック・マーケット・ライド」としてタイトルがオマージュされた名曲「マジック・カーペット・ライド」、
その名の通り、強気で挑発的なグルーヴが魅力でファン人気も高い「我が名はグルーヴィー」、

野宮さん作で愛の楽園を描いているようでどこか空虚でサイケデリアさえ感じられる詩とストリングスとバンドアンサンブルの調和が綺麗なメロディの「ピース・ミュージック」(続く「ストロベリィ・スレイライド」も)

などを序盤(もちろんラスト後半にも「ハレルヤ・ハレクリシュナ」などの陽気なアンセムもあるけれど)に一気にたたみかけるように収録していて、ex-パーフリの小山田さんが共同プロデューサーに就いた『ボサ・ノヴァ2001』が最も名盤にあたると思いますが、個人的には次作のこの『Overdose』の方がより好き。


このアルバムの制作中に小西さんと一緒に残っていたオリジナルメンバーの高浪さんが脱退して、小西さんと野宮さんの2人体制に突入していくんですよね。個人的にはPizzicato Fiveのキャッチフレーズの「ハッピー」「キャッチー」「グルーヴィー」な感じって、野宮さんが加入して以降では前の『ボサ・ノヴァ~』で一旦完成されてると思えてて。

で、ロックをテーマにしたアルバムと言うことで制作されたのが『Overdose』ですが、もちろんエネルギッシュな曲も多いなか(お茶目な彼らのことなんで実際のロックソングって「スーパースター」くらいなんですけど)、全体的なアルバムを覆う雰囲気は相変わらずキャッチーだったりグルーヴィーなんだけど、そこかしこに、その過剰なハッピーに対して拭え切れない翳りのような、ともすれば死の陰すら見え隠れする感じがして。

そもそも『Overdose』ってタイトルから不吉というかドラッギーと言えばドラッギーだし。
ODって言葉がもしクールなものであったとしても、それはグルーヴィーとかファンキーのようにポジティブなものでなくて、ネガティブなクールさ。

このアルバムで歌われているラブソングってどれも、どうしようもなく一方向的な恋でいつか2人でどこかに到達するというよりは、結局擦れ違って、すがってどこにも達しないような…恋と言えば可愛いけれど、もっと根源的に渦巻く欲望のようなものがかなりキュートにコーティングされてる感じがするんですよね。
ハッピーを夢想して、それを過剰摂取するあまり、譫妄的なまでに渦の中にいて、ハッピーに食い殺されそうにさえなっている…と言えばあまりにシリアスに取りすぎてるような感もあるんですけど、そんな情欲が見え隠れします。パーフリの名盤『ヘッド博士の世界塔』でもそうなんですけど、渋谷系のいかにも都会的なオシャレでスタイリッシュな生活をしてる風なスタンスで、多くのジャンルの洋楽からサンプリングした元ネタありきの感のある雰囲気の中で拭えない情欲のようなものがあると言うか。

先に挙げた自分がこのアルバムを聴くきっかけとなった『人格改造マニュアル』の中でも鶴見さんはこう書いてます。
「この分野(注:明るくなる音楽)で多くの人が挙げたのがPizzicatoとBeach Boysだったが(中略)そもそもPizzicatoの曲というのは明るいというより、もっと微妙というか、不安定というか…」
この言葉の通り、Pizzicatoって底抜けの明るいポップスではなくて、不安定だと思えるんですよね(これは渋谷系のオリジネイター全員に言えることですが)。その不安定感が結構『Overdose』は強い。


歌われている都会のスタイリッシュな暮らしも、ともすれば奔放な女の子が自暴自棄とは言わずとも、やけっぱちに恋や欲望に溺れていってる感じがする。あとこのアルバム、全体的に、「お金がないけど遊んでる/遊びたい感じ」が出てるんですよね。全然リッチな生活じゃないっていう。

簡単に1曲ずつ適当にみていっても
「エアプレイン」は軽快なサウンドにのって、「ホールデン・コールフィールド(元ネタはサリンジャーの名著『ライ麦畑でつかまえて』の主人公)みたいとか言われてご機嫌になるようなタイプ」の子供みたいなナイーヴなんだけど活発というか、そういう子がオシャレな生活してるんだけど、綱渡りばかりして、「飛行機に間に合えばそれはそれでいんじゃない?」というどこか気ままに生活してる感じがするし(「税金を払ってりゃそれはそれでいいんじゃない」とか)

自由の女神」も自由奔放に生きる彼を思いながら、その彼の「金色のブレスレットは別れた彼女がお金にかえた」とか出て来たりもするし、「あの子」は「いつもクールで誰とでも寝る」。そして、あの子が寝たのは決して彼ではないし「車はいつか盗まれる」…あと、この曲は高木完さんのラップが良い。

「ハッピー・サッド」は、シングルにもなった名曲で彼らのお決まりのサンプリング「A New Stereophonic Sound Spectacular」が冒頭から出てくるのだけど、やっぱりタイトル通りハッピーでサッドというか、「夕べ手に入れて2人で聴いたレコードの裏表」とか「踊りたくなるようなソウルミュージック/永遠に続く」とかハッピーな情景があるのだけど、「あなた」も私も不安定でハッピーとサッドを交錯していて…歌詞通り、いきなり「突然おわる」という言葉のあとにレコードをバックスピンしたかのように一瞬、音楽がとまって「オーヴァードーズ」と呟かれるのは不吉な感覚さえ覚える。もちろんファンキーでポップな曲なんだけど。

「イフ・アイ・ワー・ア・グルーピー」はかなりシニシズムがあって、右耳から英語で左耳から日本語で同時通訳しているような感じのナレーションで延々と鬱陶しい元グルーピーの戯れ言を聴かされるという。ジャジーな曲調もあって実験的ながら良い曲だけど。

Pizzicatoと言えば、この曲的な感もある大名曲「東京は夜の七時」はアルバムバージョンで10分を超えるアレンジになってるけれど、これまたスタイリッシュなタイトルやサウンドに反して(語り出すと長くなるけどとにかく)どう願っても「あなた」には会えずそれでも「本当に愛しているのに/とても淋しい/早くあなたに会いたい早くあなたに会いたい」と感情を意図的にシャットアウトしたようなボーカリゼーションで難度も連呼されると、譫妄的な感さえ出てくる。底抜けにキャッチーなテクノポップ(シングルでは特に小西さんの好きなプラスチックスからの影響が結構見え隠れする)なサウンドにのってパラノイアックとさえ言える情感が見える。
続く「ヒッピー・デイ」が超ファンキーで少し持ち直す("お金がなけりゃなきゃないでいいけど不景気そうな顔をしないで/口づけるとか愛し合うとか笑うだけなら無料だから"という歌い出しがキュート。エロティックでもありますね)。

そして最後の「陽のあたる大通り」は個人的にPizzicatoの中で最も好きな曲(特にこの『Overdose』に収録されているアルバムver.)で、ソウルフルなバンドサウンドと(ホーンセクションはスピッツ「謝謝!」のそれにとても似ている)ハッピーな曲調ながら歌い出しからすごく陽気に"死ぬ前にたった一度だけでいい/思い切り笑ってみたい/陽のあたる大通りを/口笛吹いて歩いてく"と、ともすれば厭世観さえ感じる夢想的なフレーズが広がる。その明るくキュートな感じがむしろ無邪気なグロテスク的とさえ響く。
"表通りの真ん中で/偶然あなたに出会って/大きな声で名前を呼んで/抱き合ってキスして"、"そしてあなたと朝まで/バラ色のベッドのその中で/たわいのないこと話し続けて/抱き合ってキスして"…とすごくキュートでラブリーな夢想が広がるが、結局夢でしかない。。
"死ぬ前にたった一度だけでいい/思い切り愛されたい/陽のあたる大通りを/口笛吹いて肩を並べて"
"陽のあたる大通りで/涙が出るほど笑ったなら/口笛吹いて歩き出すの/アステアみたいにステップ踏んで"
…という言葉の後に"バイバイ"と何度も何度も連呼されると、どこか背筋が寒くなる感じさえある。
あまりに「素敵な空想」すぎて、怖い。
そして曲の全体を覆うトーンをよりネガティブに(しかし希望を願いながら)押し出したのが、ART-SCHOOLSWAN SONG」のようにも思える。

 

と、こうは言っても、これらは裏で見え隠れする拭えない翳りのようなもので、パッと聴いた感じは渋谷系的なギターポップやジャズ、ソウル、ラウンジ、ソフトロックのエッセンスを切り貼りしたような良質なポップアルバムに仕上がっているのが素敵。

何度も繰り返される「A New Stereophonic Sound Spectacular」もさることながら、やっぱりこの渋谷系の切り貼り感、音楽マニアたちが古今東西の様々な音楽からあらゆる引用、オマージュ、カットアップ、借用などなどをした後に継ぎ接ぎで「いびつなのに極上のポップソング」の地平に終着させるところは、個人的に影響を受けていると思います。Pizzicatoのテーマである「レディメイド」の寄せ集めの感覚もとても素敵(パーフリは「古い墓暴き」と呼んだけど)。


Bathroomsは意図的にネオアコっぽい曲や渋谷系っぽい曲を作らずにいたのだけれど、但馬さんも加入したことだし、一曲はPizzicatoだとかCymbalsみたいな曲があっても良いと思ってます。

The Posies『Dear 23』

(※これは廃墟となっていた過去のBlog「青色灯」のサルベージ記事です。サルベージ日:18/6/22 オリジナルのポスト日は投稿日時参照)

 

また忙しくて(半分タイミングを見失って)ブログの更新ができてませんでした。。

さて、誕生日前夜ということで、ブログを更新したいと思います。
まあ前夜と言いつつ、23:58分に書き始めてるので、もう既になってるのですが。。苦笑

11月4日が誕生日でして、アーティストだったら、小谷美紗子さん、Omar(Mars Volta/At The Drive-In)、Cosey(ex-Throbbing Gristle)などと同じです。他の有名人では、西田敏行氏、名倉潤氏、リリー・フランキー氏などと同じです。
小谷さんは、全く地区は違えど、同じ京都のご出身なので、何だか嬉しいです。
後は、架空の人物では、峰岸あやの(『らき☆すた』)、美袋命(『舞-HiME』)、糸色望(『さよなら絶望先生』)と一緒です。峰岸は地元の企業がアニメーションを制作していて、美袋の方は個人的な第二のホームタウンの愛媛が舞台の作品の人物ということで何か縁があるのかな、と思います。

しかし、それよりも絶望先生と一緒ということに絶望し(てい)た!
たしか中学くらいに『~絶望先生』読んだ時に、糸色先生が言ってたのですが、たしか11月4日だと十月十日で逆算したら、「製造日」(原文ママ)がクリスマスイヴとかぶるんですよね…で、糸色先生の台詞が「絶望した!クリスマスベイビーな自分に絶望した!」みたいな感じで。笑 


まぁ、という訳で(相変わらず何が「と言う訳」なのか不明だけど)、誕生日になりました。
The Posies『Dear 23』を聴いてました。PosiesのJonやAuerがどういった意図で、このアルバムタイトルを決めたのか知らないのですが、クールなネーミングだと思います。また1曲目の「My Big Mouth」~2曲目「Golden Blunders」の流れがオープニングとして、とても(ブラックユーモアに満ちていて)素敵です。
「Golden Blunders」なんか学生(高校生くらい?)のカップルが良い感じになって、取り返しのつかない失態を犯してしまって、"You're gonnna the guilt forever"という、何と言うか、(援助交際などが特に取り沙汰され始めて若者の貞操観念がより疑問視された)90年代初期から現代に向けた(今で言うと所の)「リア充爆発!」みたいな節を、オルタナティヴに屈折させて歌ったもの…でしょうか。笑 そして、サビはART-SCHOOLの超初期の名曲「Fiona Apple Girl」にメロディラインがまるまる借用されているのでARTファンの方も楽しめる曲になっています。

 

この1年間は、環境的には色々と(客観的に見ても)大きく変わったと思いますが、何だか精神的には、ある種、恒常的なまでにローに過ごしていたので、あんまり成長したとは言えないかも知れないかも。。「経験」と「成長」は、また違うという意味で、「経験」はかなり増えたけど、「成長」は頭打ちになっていたような。。

とは言いつつ最も大きかったのは何と言っても、自分が2010年から組んでいた京都/大阪のインディーロックバンド、Bathroom Sketchesがデビュー1stフルアルバム『(…Across the)Yellow Town, Pink St.』を全国販売でリリースできたことですね。このアルバム、バンドのブログでも書いてたのですが、2012年初頭から制作を始めて1年半の制作期間を経てやっとリリースできたんですよね。
バンドのブログとして(バンドマンとして)、ある程度、これを言ってはいけないとも思いますが、せっかく個人ブログなので言うと、このアルバム、こうして全国販売できただけで、個人的には嬉しいものです。
と言うのも、このアルバム、バンドのブログにも書いてますが、本当に制作期間が長く、正直、完成させるとか不可能では…?(個人的には、良い意味で大して高難度ではない曲ばかりなのに)と思ってたのもありますし、高校時代から自分が憧れていたクリエーターやメディアの方のご協力を経てリリースすることができたからです。高校時代と言えば、僕は一介のベーシストでBathroom Sketchesでの自分のパートであるG/Vo/Synどれも(バンドでは)担当しておらず、まさか(メンバーはもちろん、制作に関わっていただいた多くの方を含め)こんな編成で、自分のバンドが全国的にCDをリリースできると思ってなかったのです。曲も歌詞も書き方は高校時代とは全く違っていますし、物事、何がどう転ぶか分からない。
まあでも今のバンドメンバーは全員、高校時代の仲なので、高校時代に感謝したいです。個人的には、男性メンバーに紅一点の女性メンバーという構成は(ライナーを担当して下さった犬飼さんにも書いていただきましたが)、昔から長く夢だった(Smashing PumpkinsSuperchunkSonic YouthPixiesNUMBER GIRLSUPERCARなどの90'sオルタナ勢をはじめ、VelvetsやTalking HeadsNew Order、Silversun Pickups、Base Ball Bearなどなど多くの個人的にフェイバリットのバンド編成)のもありますし、嬉しいです。


…と、これ以上はバンドの記事で独立してまた別の記事に書きたいと思います。苦笑

環境的に変わったんですけど、それはパブリックのもので、それがより活動の幅が広げられているのは良いですが、プライベートは大して変わらないと思います。それこそ、響宴なり狂騒の時期…(イエロー・タウン・ピンク・ストリート)を「横切って」、あるいは、脳内物質がめちゃくちゃに循環していたキマった状態から落とされて(落ちて)、まだ精神的には正気に戻ってるのに、身体的にはすくっと瞳孔が開いた目を自分で鏡越し確認しているようなシーンがずっと続く日々というか。遠い国で流れてるラジオを何かのトラブルでたまたま傍受してしまったみたいな(よく分からないたとえ)、膜がかかったような景色をただゴーグル越しで覗いているような、そんな感覚でした。あまりよろしくないですね。


僕自身が特に何か劇的に変わることはないと思いますが、より色々なコンテンツの幅は広げていますので、今後ともよろしくお願いいたします。
「The World Has Turned And Left Me Here」(Weezer)の季節から「Changes」(Sugar/Base Ball Bear)の季節へ…といけたら良いんですが、どうなるんでしょう…??


と、こうして何かぐだぐだしてイマイチ気合いが入っているのか分からない言葉を重ねてるのも、かなり久しぶりに、「特別な日は特別にしなければならない」という、昔やってたSNSで言ってた自分の悪い強迫神経的なやつが出てきてる感じがするのです…苦笑
この「特別な日は特別にしなければならない」という一種の縁起妄想的な感覚は、例えば誕生日やお正月などに表れます。「(誕生日やお正月は)縁起の良い日なのだから、縁起の良い一日で収めなければならない。特別な日なのだから、特別な一日で終えなければならない」という嫌な思考が頭に上ってきます。と言うか、これ自体はもしかして、一般的な感覚かも知れませんが、これが悪い形で醸成されると、「特別な日なのだから良いことしか起ってはならない。悪いことが起ってはいけないから、一日そっと(精神的に引きこもって)いよう」となって、仕舞には「特別な日が特別に良いことが起らないのは、日頃の行いが良くないからで、それは自分の日頃の怠惰がゆえに…」などと思考がネガティブな方にスパイラルで作用していきます。

まあ、数ある中でこの種の神経症みたいなやつは、「特別な日」症なんで、その日を過ぎれば、寛解しますが、普段から神経質な性格な分、考え始めるとよろしくない!!ああ、でも考え出したら、例年いただく誕生日おめでとうのご連絡を時間毎に算出して、今年はどれくらいの推移を辿っているかデータとして出して調べたいという嫌な欲求に駆られてしまいそう(そしてそれを実際にちょっとでもし始めたその瞬間、確実に自分は精神的に友人が減る)みたいな。


と言う事で、ブログ記事を書き始めました。
あ、でも前に読んだ心理学の著書でやたらSNSでのポストやらブログ記事での文が長文になってる人は、典型的な神経症者ってあったな。。まあまだ自覚あるだけマシかと思いたいですが…(何だかんだで長文を書く人は、普段から「主観的に望んでいる量のコミュニケーション量を取られておらず、それを迂遠な文にすることで無意識的に自分自身を制御している、みたいな理論だったような。でもこの理論でいくと自分、昔から、主観的に望んでいる量のコミュニケーション量を取れていた試しなどほとんどないことになってしまうと思うけど苦笑)。。

と何や、これは。こういう妄想的な神経症から逃れようと思ってブログ書き始めたのに最後らへん割と言ってしまってるやないか。まあ、と、気付いた時点で、この記事を早々に全てデリートして、床に就くのが賢明な大人の態度なのでしょうが、僕は「誕生日は、一年で一度しかないのだから特別にしなければ!仕事など全て止めにして、楽しい一日にしなければ!」と思う子供の精神をいつまでも持っているので(これを数年前に友人に言ったら「良い歳してバカじゃない?」と言われたのですが…苦笑)、あえて、特にここで断念しまうことなく、適当に公開します。まあ大して重い話でもないですし。年に一度くらい、こういうくだらないポストでも構わないのではないでしょうか…(開き直り苦笑)?
あと最初の記事でも書いてましたが、適当な話でもOKな場を設けるために、ブログを始めたので、こんなどうでもいいくだらないポストでも良いのではないでしょうか…(開き直り)?


気を取り直して、こういった神経質的な在り方は忙しくしていれば、ある程度マシになると思ってて、今日も普通に連休ですが、全然休みじゃなく、あくせくしてようと思います。
ある種の神経質的な在り方は際限ない独善的な思考(ともすれば、自分自身を自分自身で支配する欲望を、もっと言えば、自分自身を超えてより他者を支配してしまおうという自分でも気付き辛い面倒な欲望)を生むと思っています。それが自罰的なものであったとしても(自戒を込めつつ)。


だから、誕生日はやはり落ち込みますね…
ではなくて、誕生日っていうか、これからの1年はより良くなっていけば…!!と思っています。

 

ジャケットイラストレーション、岩沢由子さんについて

(※これは廃墟となっていた過去のバンドBlog「Bathtub」からのサルベージ記事です。サルベージ日:18/6/22 オリジナルのポスト日は投稿日時参照)

 

こんばんは、青野です。

リリースして、1ヶ月が経った1stフルアルバム『(…Across the)Yellow Town, Pink St.』がAmazonで売り出され、着実に販売網を広めています。これから各種レコードショップでも取り扱われることになるかも知れません。

また、バンド側で募集している1stフルアルバムへの一言レコメンドページが、ミュージシャンや音楽ライターさんたちによってどんどん追加されています。現在は、日本において、特にニューウェーヴオルタナティヴシーンの中で人気のある雑誌の一つ(と僕個人は思っています)COOKIE SCENEのライターの藤田聡さんと東京のインディー・レーベル、Rejecreateのオーナー、半田雄翔さんからコメントをいただいており、掲載させていただいております。両名ともBathroomsの魅力を存分に伝えて下さるコメントで有り難い限りです。

また近々Bathroom Sketchesとしてライブの大きなアナウンスをさせていただく予定となっております。是非チェックしてみて下さいね。


それでは、今回の記事はBathroom Sketchesの1stフルアルバム『(…Across the)Yellow Town, Pink St.』のジャケットイラストレーションおよびデザインを施してくださった東京のイラストレーター、岩沢由子さんについて書きたい。

僕が岩沢さんの作品に出会ったのは今から約7年も前の2006年のこと。
まだ当時、高校生だった僕は、後に現在のBathroom Sketchesのメンバーと出会うことになる高校に通ってたけれど、プライベートで思わしくないことがあって、初めて高校をサボって、京都のTOWER RECORDSにギスギスした心を抱えて行った時だった。
特に目当ての盤もなくタワレコをさまよう平日真っ昼間。普段は、学校が終わってからとか休日に行くタワレコもそれほど人気がなく、僕は店内を物色していて、一枚のCDを見つけた。ドイツオレンジの『ネヴァーランドフリーザー』。

そのジャケットに釘付けになった。モノクロトーンで描かれる1人の少女、彼女は線の細い柔らかなタッチで描かれており、優しげでキュートであるとさえ思える顔立ちに目だけは虚空を見据え、希望とも諦観とも言えぬアンニュイな表情を浮かべていた。線細く描かれた彼女の、その目線の浮かぶ先に何があるのか。目はハッキリと「何か」を見ていることを明確に表すように、凛としていた。
モヤモヤは一気に氷解し、その一枚のイラストに魅了された。
そのアルバムをレジに持って行き、「試聴させてもらえますか?」と店員さんに聞いたのは当然のことだった。当時の下北系ムーブメントの灯火とも言える軽快ながらナイーヴなギターロックが奏でられていた。


そのドイツオレンジのフロントマンの篠塚さんは今では、それでも世界が続くなら、というバンドでメジャーデビューを飾られた。ただ個人的には、そのジャケットを手がけていた方が、こうして自分のバンドの1stフルアルバムのイラストレーションを手がけてくださったことは、感嘆と言うか、何とも言えない気持ちである。
そのドイツオレンジのジャケットを手がけられたイラストレーターこそが、今回のアルバムの岩沢由子さんだ。


高校生の僕はネットを通じて、ドイツオレンジのイラストを手がけた方の背景を知り、また彼女が京都のセレクトブックショップ、恵文社にて(後にご結婚なされる)VJの戸田広さんと共に展示会『Vola: Kuva』を開催されることも知った。
もちろん、これにも駆けつけた。残念ながら、その時は、岩沢さんも戸田さんもいらっしゃらず、1人で会場を回っていたのだが、岩沢さんの描かれる繊細で、しかし強かな画風や世界観に圧倒されると同時に戸田さんとの光や映像を用いたオブジェに感嘆していた。


気がつけば、僕の中で、岩沢由子さんというイラストレーターへの興味がどんどん増していた。
岩沢さんの描く絵はどれも瑞々しく清冽な光を放っている。そのイラストのどこかからは、「傷を抱えていること」「優しさの中に強固とさえ言える意志があること」「自省し、苦悩しながら、それでも芯をたしかに『見据える』こと」など、ともすればアンビバレントな感覚が浮かび上がる。それらこそが彼女のイラストが素敵なポップアートであると証明している。
彼女のイラストを見る時、絵の中で描かれる「彼女」たちと目を合わせ、時に目を逸らし、眼差しを向け返すと同時に自分自身を顧みる。線の細いイラストは、その淡さに反して、強固な意志と傷を抱えているからこそ描ける、そんな世界観に満ちている。


僕はあっという間に岩沢さんのファンとなって、高校の時から時折、彼女のブログを拝読していた。
そして、(故意に改変したりすることを除けば個人利用の範囲ではOKとされていたため)各種SNSに彼女のイラストのアイコンに使わせていただいていた。転機は岩沢さんがTwitterを始められた時。ずっと一ファンとして彼女のツイートを見ていたのだけれど、イラストにもブログにも表れている個人的な情感、様々な作品や出来事と触れた時の感覚などがツイートされるのを見ていて、思わず、リプライを送ったのを覚えている。
「すみません、実は高校時代からファンで、岩沢さんのイラストをSNSのアイコンに使わせていただいております。大丈夫でしたでしょうか?京都から応援しております」

それから僕は岩沢さんに、リプライをよく送るようになり、今でも不思議なのだけれど、一介のファンであった僕を岩沢さんからもフォローいただき、お互いにリプライを送り合う関係になっていた。


そして、もう一つの転機となったのは、2年前。放浪癖から東京に遊びに行って、泊まる宿なし、所持金少なし、東京の友人も少なしという状態で、お会いすることになった時だ。
杉並のある駅で、僕は岩沢さんと待ち合わせをしていた。当時の僕は金髪ロン毛眉毛なしで、お世辞にも品のあるとは言えない身なりではなかった。そんなチビ男が、右も左も分からぬ東京の夕空の下、憧れだったイラストレーターの方とお会いするからとブルブル震えていたのだから滑稽である。

今思えば、当時の僕は岩沢さんとお会いするということだけで事件であったので、特にお会いする理由もなかったのだが、カフェに行くことになった。その道中で、僕は思わず文房具屋を見つけ、そこで色紙を買った。
カフェに行くと僕は、その色紙を手渡し、「さ、サインいただけますか…」と震え声で伝えた。バカなファン丸出し。
岩沢さんは苦笑されて、「色紙にサインするなんて初めてだよ~」とおっしゃいながら、女の子と猫のイラストを描いてくださった。
このサイン色紙は今でも部屋に飾ってある。サインを見るに、11/2/25とのことだ。


それからバンド外の活動で、あるメディアの自画像アイコンを描いて下さったり、名刺を作って下さったり年賀状を下さったりしていて、遂に今回、バンド、Bathroom Sketchesのジャケットを描いて下さることになった。


『(…Across the)Yellow Town, Pink St.』の表ジャケットには、水中で佇む1人の女性が虚空(虚水)を見据えている。暗闇にも似た紺色の深海のような場所で、彼女は水の動きに合わせて明るく輝く髪を揺らし、泡を吐き出している。またバックインレイには同じく場所で、青い目を光らせてカラフルな泡を口から放出する女の子が、その泡を抑えようとしているのか口元を隠している。

実はこのジャケットとバックインレイ、アルバムのラフミックスができた当初にラフスケッチ一本目からいただいていたもの。
ハッキリ言って、他人様に聴かせられるレベルのではない荒いミックスの音源を聴いて下った時から既に、この構想は彼女の頭の中にあり、ラフスケッチを提案して下さっていた。僕は即決でどちらにもOKを出させていただいた。特に表ジャケットとなったスケッチは「これしかない」と言える、強い確信を得た。
メンバーの誰1人NGを出すことなく、そのままスケッチは採用となり、淡く、それでいて重厚なカラーリングとマスタリングが施され、こうして、商品としてリリースすることになった。


アルバムをリリースして、すぐに友人に聴かせると「青野にとっては(今までのキャリアでは)明るいアルバムのつもりだろうが、君が想定しているよりグロい」だとか「そこはかとなく暗い」だとか「ポップなのに憂鬱なのが出てる」だとかのコメントをいただいているが、僕個人としては、こもし暗さのようなものがあるならば、それは、このジャケットやバックインレイに表れているような紺色の感情だと思っている。黒ではなく、深い紺。そこにいるのは、「どこか」を見据えた1人の少女だ。カラフルな泡は、口を抑えても出てきてしまう、このアルバムに内包されたあらゆる淡い情感だと思う。
このジャケットは『(…Across the)Yellow Town, Pink St.』という作品を端的に表している。


また、歌詞カード面は岩沢さん直筆の歌詞が書かれている。
僕は普段、普通に字を書くと、あまりに角張っていて犯行声明文みたいだとか揶揄されるのだが、自分が書いた歌詞を改めて、他の方の手で書かれると、アルバムの中で描かれた8つの歌詞=ストーリーがより鮮明になっているように思う。
特に、僕個人としては「Whirlpool」や「Kinky Ape」などの詞は普段、岩沢さんがあまり使われない言葉を使っているので、その良い意味でのアンバランスさに、どうしてもニヤニヤしてしまう。
この「歌詞は岩沢さん直筆」というアイデアは、岩沢さんにイラストレーションをご依頼した時から、考えていたものであって、僕とは似ても似つかない丸くキュートな文字で書かれる歌詞は必見です。
リリックの合間には金魚が舞っている。アルバムを聴いて下されば分かるのだけど、今回の9曲の中で「金魚」というモチーフは全くなかった。金魚のモチーフは、イエロー・タウン・ピンク・ストリートという水中都市に紛れ込んだ"人"だと僕は思っている。あえて盤面には触れていないけれど、これも素敵。

制作中は、集中作業から何度も返信が遅れるなか、いつも迅速に御対応くださり、また素晴らしいジャケットを下さった岩沢由子さんには感謝してもしたりない。ありがとうございます。

また、インディー・レーベル、Evil Home Stereoのロゴも岩沢さんに依頼。
当初はJon Spencer Blues Explosion『Orange』のジャケットをさらにダーティーにしたようなアイコンに、とお願いしていたが、これまた、オーディオスピーカーからむっつりと不機嫌そうでキュートな曇が出てきているという岩沢さん流のポップセンスが見える素晴らしいロゴに仕上がった。

あるバンドのジャケットイラストレーションに惹かれたただの少年だった自分が、自分のバンドでそのイラストレーターさんに描いていただいているというのは自分でも信じ難いです。


一緒くたにするのは恐縮なのですが、今でもやはり、個人的には岩沢さんと自分は感性というかツボが似ている…そんな想いがあります。彼女の書くブログ記事やツイートに同意せずにはいられなかったことも何度もあるし、繊細さ、そしてそれを否定するのでなく、それを抱えてこそ、描き出すというスタンスにはいつも勇気づけられています。

個人的には岩沢さんと僕は邦楽アーティストでは、フェイバリットの一部が近いのもあるかと思います。
スーパーカーをはじめとして色々ありますが、特に僕と岩沢さんが互いに思い入れが深いアーティストは中村(一義)くんだと思います。
自分の音楽に中村くんからの影響が表れているかどうかは、はたして分かりませんが、中高時代から大きな影響を受けたアーティストの1人に中村くんはいて、それは岩沢さんにとっても同じだと思います。彼女のイラストに表れる素朴な、でも強かな意志をもつ説得力は、中村くんからの影響が多大であると思います。なお初めて岩沢さんとお会いした時に、お互い、ここの一節にこそ救われますよね、と話し合っていた曲は、「生きている」("完全な安定がないなら完全な不安定だってないな")です。


それでは、また。

PS:岩沢由子さんは現在、個展[koten2013]を開催しておられます。彼女の世界をより味わいたい方は是非、会場へ!

ゆうべ手にいれて聴いたレコードの裏表

(※これは廃墟となっていた過去のBlog「青色灯」のサルベージ記事です。サルベージ日:18/6/22 オリジナルのポスト日は投稿日時参照)

 

個人ブログ開設したものの、開設後すぐにパブリックもプライベートも忙しくなり、全然更新できてませんでした。
プライベートが忙しくなると、毎回SNS等に全く顔を出せない状態になってしまうのが良くないです。連絡も仕事等以外ではかなりおざなりになってしまってしまいます。良くないです。

そんな中、ブログを更新する程度合間を見つけられたので、更新すると同時に生存報告(失笑)に変えさせてもらいたいと思います(こういう使い方もできるのでは、とさっきふと思ったので苦笑)。


前のブログを更新した後、すぐくらいにアナログレコードプレーヤーを初めて買いました。観賞用のスピーカー内蔵の非常に安価のプレーヤーです。

自分はクラブに頻繁に出入りする習慣もなく(もうちょっと行きたいと思ってはいるのですが)、自分でDJもどきをしている時もPCのアプリケーションを使っていて、当然のことながら鑑賞用もCD世代なので、アナログのレコードプレーヤーを実際にちゃんと使ってみたのは初めてでした。

ただレコード自体は、ちゃんと数えてないのではっきりした数字は分からないですが、60~80枚持っていました。
その大半が叔父さんからもらったものだけど、中には友人にプレゼントしてもらったものや、自分でレコードショップで衝動買いしたものなどがある。しかし、それらはプレーヤーがなければ、ただの部屋のニッチっぽいインテリアにしかなってなかった…ので、ふと思い立って、プレーヤーを買うことにしました。
詳しい使い方など分かってなかったので、最初は廉価版のようなものでいいかな、と。
アンプとかあるけれど、多分接続の仕方などに手こずる(??)ことが予想されていたのでスピーカー内蔵のチープなものを。


Amazonから届いて、部屋の中で開封。想像以上に小さい。
取説をざざっと読んで、一通りセッティングを済ませて、適当にTalking Headsの名盤『Remain In Light』をかけてみる。
LPが回転する、ゆっくりと針を落とす。内蔵スピーカーなので、最初から大した音は出ないものなのか、古いレコードなので盤面の色々があるからか、所々ノイズがかったサウンドでアフロリズムが響く。David Byrneの歌声が若干遠い感じがする。
正直、これが良いサウンドなのか(「アナログっぽい」とか「レコードならでは」のサウンドなのか)判別できないのだけれど、そもそもCDや音源データより良い音質で、とかそういったのを味わうために買ったのではないので、そのところは問題ない。

針がきめ細かく上下するのを眺めながら紅茶を飲みながら眠りにつく…時間などなく、買ってからずっと、今回っている盤が終わると適当に次の盤へ、といったようにしげしげと鑑賞(観賞)する時間がないのが、少し切ない。そもそも家に帰っている時間も少なく、帰っても仕事したりとかで、ついiTunesとかでいつも通り聴いてしまっているのももったいない。
時間があれば、もうちょっと1枚1枚ゆっくりと眺めながら聴き入りたいところです。


先にも少し書いたけど、ほとんどのLP盤はCDあるいは音源データなど別の形で持っているため、必ずしもアナログに頼って聴かなければならない盤だけというわけでもない。

その中でも幾つかの盤はアナログでしか持っていないものがあるため、それを聴けるのは嬉しいことでした。
例えば、Smithsの「This Charming Man」、「The Boy With The Throrn In His Side」、「Girl Friend In A Coma」、「Last Night I Dreamt That Somebody Loved Me」といった一連のシングルは(自分はSmithsにめちゃくちゃ精通しているという訳ではないので申し訳ないけれど)、CDや音源データでは持っていなかったため、なかなか珍しいのではないかと思いながら聴いている。
「This Charming Man」などは、シングル盤(not EP、but45回転)にも関わらず、森脇美貴夫さんによる84年当時のライナーが付いていて当時のSmithsが急速に注目されていった過程を感じることができる。あと表題曲については、マンチェスターでレコーディングされたものとロンドンでレコーディングされたものの2バージョンがA面に収録されていて、ロンドンでのものはJohnny Marrの軽快なギターが若干ハウる寸前で鳴っていて、ビートも性急で、通常の「This Charming Man」とは違った装いを楽しめる(ただやっぱりSmithにめちゃ詳しいという訳ではないので、これがどれだけ価値のあるものをかは判別できないのだけれど)。Death CabがまだBenによるソロユニットであった時に制作された『You Can Play These Songs With Codes』に収録されている同曲のカヴァーは、このロンドンでの音源を基にカヴァーしているのでは?と思えます。ただの憶測でしかないですが。

また、普段ではあまり自分では聴かないようなAOR系…例えばSteely Dan(あるいはDonald Fagenソロ)やBob Scaggsなども音源データとしてはほとんど持ってないので聴けるようになったのは有り難い。


CDや音源データとして持っている盤でも、まあサウンド面では前の通り、それほど違いが明確に分かっているわけではないですが、気持ちの面で違いがあって面白い。
今のところレコードプレーヤーでよく再生した盤は以下のような感じです。

Talking Heads『Remain In Light』『True Stories』『Fear of Music』、New OrderSubstance』、The Smiths『Hatful of Hollow』『S/T』、The Style Council『My Ever Changing Moods』『Our Favorite Shop』、Pink Floyd『The Wall』、Play Dead『From The Promissed Land』、Chapterhouse『Whirlpool』、The Pastels『Mobile Safari』(最後2枚は高校のバンドメイトからプレゼントしてもらったもの)。

ほとんどが80'sのアルバムなのは叔父さんの趣味のため。ただ、自分の中の一つの側面は叔父さんからの影響が強い(基本的に自分の親族で音楽をはじめとする文化表現が特に好きな方が叔父さんくらい)。CDなどよりは自分の趣味と重なっていないところも多いけど、やっぱりTalking Headsは最近特に聴き返してるように思う。
またChapterhouse『Whirlpool』はリマスター盤音源しか持っていないため、若干ヴィヴィッドな感じの薄いくぐもった元の盤の感じは初めてなので、これもよく聴き返している(それにジャケットの丸まってる猫ちゃんが盤面にもプリントされていて、回すと猫ちゃんが丸まっているまま回っている感じになるのでより可愛くて素敵!スリーブケースには猫ちゃんを反対から撮影した写真が使われてるのもキュート。できたら写真をアップしたい)。

で、こうしてLP盤を回していると、Pizzicato Fiveの名曲の一つ、「ハッピー・サッド」の一節
"ゆうべ手にいれて/2人で聴いた/レコードの裏表/退屈なラブソングと憂鬱なジャズと"~♪
というフレーズが頭の中で流れる(あるいは、京都アニメーションの『たまこまーけっと』のED曲、北白川たまこ(CV:洲崎綾)のミニマルなエレクトロニカ曲、「ねぐせ」の"擦れ違うグルーヴに針を落とす/ああ、まわる、まわる、レコード"の一節が笑)。
なので、タイトルには簡単に引用した。
Pizzicato Fiveももちろんそうだけど、Flipper's Guitarなどの元祖渋谷系のアーティストのアルバムなんか是非アナログで聴きたい。多くの渋谷系のアーティストはジャケットもとてもオシャレだし見栄えもあると思う。ただし今は久しぶりの大金欠状態でレコード以外でもほとんどのものがマトモに買えない状態にあるので夢物語であるが。

あとは邦楽アーティストだと何と言ってもスピッツですね。
全てのアルバムをLPで出してるだけでなく、LP限定の特典もあるため揃えたい(特に『名前をつけてやる』や『フェイクファー』はジャケからも素晴らしすぎるので)。

まあ何をするにしても時間がなさすぎるので、どうにか捻出したいところ。

ブループリント

(※これは廃墟となっていた過去のBlog「青色灯」のサルベージ記事です。サルベージ日:18/6/22 オリジナルのポスト日は投稿日時参照)

 

はじめまして、aopyと申します。


簡単に自己紹介すると、京都/大阪のインディー・ロックバンド、Bathroom SketchesのG/Vo/Syn、デジタルユニット、Moles Regimeのコンポーザー、それに音楽の物書きをしています。


この度、ブログをはじめることにしました。
いや、今まで何度もブログを始めようと思っていたのですが、機会もなくて、また難儀なのもあって、実現できずにいました。


今回、ブログを始めようと思ったきっかけは色々ありますが、大きな決め手になったのはバンドで1stフルアルバムをリリースして、自分のサイトのコンテンツをより充実させようとバンドでブログを始めたことですかね。
ただ、バンドのブログでは、あまり僕は書き込まず、他の3人のメンバーに任せるというスタンスに決まりましたので、下手に書き込むこともできず困ったな、と。意外とブログを久しぶりに始めたら面白かったんですね。


それが今回、ブログを始めるにあたって、大きな理由になった訳ですが、前々からブログをやりたいとは思ってました。

理由は、SNSでの自分の立ち位置の窮屈さ(と言っても自分で自分を縛ってるだけだけれど)ですかね。
あえて語弊を怖れずに言えば、バンドマンとしての僕よりも音楽の物書きとしての僕という認識の方が強いと思うのですよね。僕個人としては、常に音楽(やら何やら)の物書きである前に、バンドマンという自己認識ですが、露出としては、音楽の物書きとしての僕の方がやはり前面に出ている気がします。これも結構変な話で、中高時代から僕をご存知の方は、大体バンドマンとしての僕であって、音楽の物書きの僕ってのは変に思う人も多いと思います。難しいですね。

何はともあれ、SNS上あるいは大学以降に僕と知り合った方で僕を認識している方は、多くが音楽の物書きとして、ではないかと思われます。

ここで言っているSNSってまあ、ストレートに言えばTwitterのことですね。
そもそも僕は中学時代はまあ置いておいて、高校時代から組んでいたバンドのサイトで活動していて、某SNSに入り、そこでやたら疲れたので、08年か09年の早い段階で、Twitterでツイートしていました(今になってみれば、その某SNSも巷では終わったコンテンツとされているようですが…)。

最初は某SNS疲れで避難するかのように、始めたTwitterでした。
一介の大学生として、超テキトーにツイートしていたのですが、幾つかの音楽メディアと関わらせていただくようになり、プライベートでは存じてないフォロワーさんも増え(僕は基本的にプライベートで親交のないフォロワーさんをこちらからフォローすることはないので申し訳ないと常々思いながら)…気がつけば音楽のツイート、しかも自分がメディアで取り挙げているような音楽のツイートしかできなくなっていました(自分のバンドのツイートはしますが)。

これ、完全に自意識過剰かつ神経質なだけだと思いますが、変に気にしていて、気がつけば、ツイートは丁寧語に、フォロワーさんにどんなツイート(情報やネタ)を届ければ良いのだろう…などと自意識過剰なことを考え、自分で自分の首を絞めることになっていました。
また幾人かのプロのアーティスト様方にもフォローしていただいているので下らないことは書けないと思っていました。
あと性質上、ある程度、最新の情報を届けなければならない、と強迫的に思っていました。例えば、音楽だと新譜に絞ってツイートしなければならない、実は聴いていなかった昔のアーティストを聴いて、良いなと思っても現代に合わないから自粛だとか。まあこれはTwitterの性質上、リアルタイムが重視されるので、ある程度、どなたでもそうでしょうが。
で、なんだかんだで自分の自意識過剰なのと強迫的なものがあって、窮屈だな、と。


なので、音楽はもちろん、それ以外の色んな作品の批評とも言えない感想だったり、日常のしょうもない出来事などを書き記すまたはアーカイヴする場所がほしいな、と思ってました。
そこで、バンドのブログが始まったことが後押しになって今回ブログを始めました。


このブログでは、上記のような音楽はもちろん、それ以外の今昔を無視して色んな文学やら映画やらアニメやら色々な作品の感想を言ったり、日常のしょうもない出来事を書いていこうと思います。
そして、その性質から、いい加減、丁寧語をやめたいと思います。


なんで、自分の青臭く考えた物事やら、しょうもないことを書いていこうと思う。

元来、自分は変に神経質なことを除けば、テキトーに色々だべることが好き。
もちろん、それはプライベートで友人とかと喋れる時はもちろん、何でも良い意味でのテキトーなものは好きなんです、ジャンクなものが好きと言ってもいいかも。
基本的に何か常にいちいち理詰めでいくのだけれど、それこそ話のオチがないような、グダグダと喋ったり発言したりするのも好きです。
心理学か何かの本で(こういうテキトーな言い方ね)、男性は会話(電話やメールも含む)に話の論理性やオチを求めるのに対して、女性は論理的でなく感情の交換を求め良い意味でオチもないってのを読んだ気がするのですが、そういう意味では、結構女性的なコミュニケーションが好きなのかも知れない。ファーストフードの店、それこそマクドやらバーとかで脈絡のない話をダラダラお互い話すの好き。なんで気の合う人とは性別問わず長電話も結構する。「お前どんだけ話すねん」と。
まあ1人の時間がそれより好きなんで、それの保養と自己顕示欲と色々からついつい話が長くなるんやけど(この記事も現時点で多分めっちゃ長い)。


何でこのブログは神経質になりすぎずに適度にテキトーにいきたい。
そもそもブログタイトルも、「青」という単語からパッと連想して、何か赤色灯とは逆に神経を落ち着かせ犯罪を少なくするという「エセ科学」の青色灯をくっつけたものだし。
個人的に「エセ」とか「フェイク」とか「まがい物」とか「もどき」とか、そういった感覚が好きなので。


とりあえず、最初の記事はこんな感じにする。
それではテキトーに宜しくお願い致します。