『オーロラになれなかった人のために』

(※これは(勝手に)ART-SCHOOLSPITZGRAPEVINEの楽曲を全曲解説していく途上で遺跡となってしまっていたBlog「Self Service」の移植記事です。移植日:18/6/22 オリジナルのポスト日は投稿日時参照)

 

現時点で、スピッツ唯一のミニ・アルバム(e.p.を除いた場合)。

今でも賛否両論と目される、オーケストラを大々的にフィーチャーして草野マサムネソロのようなテイストに仕上げた、本人曰く「スペシャル・ミニ・アルバム」。

前作『名前をつけてやる』から僅か5ヶ月でレコーディングされたこともあり、世界観としては前作をある程度、引き継いだ感触であり、オーケストラをしたがえたからと言って、殊更に明るくなったり、無闇に壮大になったりしているワケではない。
むしろ、詞世界の歪つな感じはいまだに色濃く出ている(「ナイフ」などは特に)。

そもそも、『オーロラになれなかった人のために』と言うタイトルからして、退廃的な感覚を打ち出している。
別冊宝島誌36によれば「アラスカの北極圏に住む先住民の『死んだ人はオーロラになる』と言う言い伝えから採ったタイトル」である。とすると、さしずめ「死に切れなかった人のために」といったところか。後ろ向きでダウナーな世界を引きずっている。


オーケストラを取り入れた背景にはプログレへの憧憬が少なからずあった(マサムネ氏いわく「お茶の間プログレを目指した」)という。しかし、全曲プログレ的と言うよりは、セカンド・サマー・オブ・ラブ的なグルーヴィーな楽曲まである。単行本『旅の途中』によると田村氏はアレンジにThe Who四重人格』を引き合いに出してオーダーしていたとのこと。

内ジャケのアー写The Smithsを意識したものか。

次作『惑星のかけら』は打って変わって、あくまで4人のバンドサウンドを大前提にしたグランジ/オルタナのアルバムを打ち立てたのも納得できる、広がりすぎたアルバム。

92年4月リリース(『名前をつけてやる』から半年以内)。

オーロラになれなかった人のために

オーロラになれなかった人のために

 

 

1.魔法
アルバムの始まりを告げるこの曲は、大々的にオーケストラをフィーチャーしつつ、アコースティックの絡みがシンフォニックなイントロから始まる。
確かに、サウンド的に見れば今までよりも格段に広がりを持ったそれになってはいるが、詞世界は相変わらず<<消えてしまいそうな老いぼれの星>>を、君の<<最後の祈り>>でごまかそうとしている辺りが、やはり閉じている。
<<サビついた自由と偽物の明日>>、<<あの河越えれば君と二人きり>>と言うのも、今更というくらいに超初期スピッツの世界観を捉えているが、一見、終わるように思えて、ゆったりと間奏に流れ込むあたり、Pink Floydプログレ感を湛えていると言えなくもないか。


2.田舎の生活
地味ながら、隠れた名曲の代表曲。
『一期一会』での、エモーショナルかつセンチメンタルなLOST IN TIMEのカヴァーも秀逸(ちなみにTHE NOVEMBERSもライヴでカヴァーしているのを彼らの活動としては初期にあたるツアーの十三・梅田ファンダンゴでのワンマン公演にて個人的に確認している)。
タイトルに関しては、別冊宝島誌36によると実際にマサムネが岐阜県で「田舎の生活」を体験したことがベースとなっているとのこと(なお、00's半ばに流行った有名な同人ゲーム/アニメ/漫画etc…『ひぐらしのなく頃に』の舞台のモデルとなった場所と同じ場所である。そう考えると、違った側面が見えてくる…かもしれない)。
手数のすくない淡々とした演奏が、田舎の閉鎖的でありながら、温かくもある雰囲気を上手く表している。
のだが、<<言葉にまみれたネガの街は続く>>や<<終わることのない輪廻の上>>とどう読み取っても、連綿と連なる永遠のごとき閉塞感を伴って歌われているのが分かる。
<<君>>と二人で描いた<<必ず届くと信じていた幻>>は、無残に砕け散り、その残骸だけ、意味を失くした言葉に溢れた、田舎との決別。
<<窓の外の君にさよなら言わな>>いと、終わることのない輪廻に飲み込まれてしまう。だから、壊れながらも田舎から抜け出て進んでいくことを決めた、脆くも強かな歌。


3.ナイフ
スピッツ史上、最も不気味でパラノイアックな狂気に満ちた曲であると同時に現時点で最長の曲。
<<小さくて、無防備で、無知で、のんきで、優しく、嘘つき>>な"君"の誕生日にハンティング・ナイフをプレゼントするという倒錯した情欲を歌った不気味な曲だ。
言うまでもなく、ここでの"君"はイノセントである。無垢である。
その"君"にゴツいナイフをプレゼントすることで、無理やりに覚醒させ、汚してしまおう、壊してしまおう、という狂気。ペドフィリアロリータ・コンプレックスとも、ヴァージニズムともまた違う、歪みきった性癖を剥きだした、この曲はマサムネ氏の書いた詞の中でも一際、偏執的で潰れ切っている。ハンティングナイフを握ってる"君"を夢想しながら過ごす…怖ろしい(ちなみにgoogleで「スピッツ ナイフ」って打つと、怖いってサジェストされる)。
<<血まみれの夢/許されて/心が乾かないうちに>>と"君"を徹底的に壊し切ってしまおう。そう願っている。
<<サルからヒトへ枝分かれして/ここにいる僕らは>>の一節は、恐らく彼らが後に何度も用いることになる"サル"性を初めて出した曲になるのだが、ここでは理性では決して抑えられないリビドーからくる破壊欲をむき出しにしているようだ。
気味悪く、幽玄で主観の内に閉じ切った世界。
「Holiday」がストーカーちっくのライトなヤンデレ曲だとすれば、この曲はまさにThis Is Yandereとでも言えるような、倒錯者の偏執的な妄想と言えるだろうか。
後に37thシングル「シロクマ/ビギナー」のカップリングとして、まさかのライブ音源化。


4.海ねこ
前曲の歪みきった陰鬱をごまかすようなアッパーな曲。
セカンド・サマー・オブ・ラブからの影響を受けたようなイントロのベースラインがPrimal ScreamHappy Mondaysなどの当時のマンチェ勢を彷彿とさせる。
それも含めて全体的な曲の雰囲気や世界観は4th『Crispy!』を先取りしているかのよう。
<<今日/一日だけで良い/僕と二人で笑っていて>>と言うサビのフレーズはART-SCHOOLを、そのサビ後のどこか虚しい<<パッパッパ~>>とのスキャットKARENを思わせるし、どことなく木下氏の詞世界への影響も考えられる。<<はじめからこうなるとわかってたのに>>がポジティブに取れるか、ネガティブに聴けるかも重要だ。


5.涙
全編マサムネのボーカルとカルテットのみで構成されている。
スピッツの全楽曲の中でも、どちらかと言えば地味な部類の曲にはなるが、このアルバムのシメの曲としてはなかなか良い味を出している(なお、曲自体はインディーの頃からあり、それは一転して、地味どころか、かなりパンキッシュな曲調である)。
サビのフレーズはマサムネの"女性"への触れられない感覚を上手く表しているし、<<だけど君はもう気付き始めるだろう~>>のフレーズは、「田舎の生活」とは対照的に僕から離れていく君を描いている。
また「魔法」や「魔女旅に出る」などと、同様に<<選ばれて君は女神になる/誰にも悟られず>>と「魔の力」による「少女から女性へ」のテーゼを歌った曲である。<<本当は一人ぼっち>>で<<月のライトが涙でとびちる夜に>>「女神になる」君は、少女から女性へと変わることのメタファーと取れるだろう。
個人的にはこの曲調も相まって、10年代に名を馳せた『魔法少女まどか☆マギカ』を観た時に真っ先にこの曲を思い浮かべてしまった。

「涙」と同時に、それを抱えて無惨に「魔法『少女』」から「魔女」へと変身してしまう彼女等の悲しみは、数十年前にこの曲で体現されているようにも思えたのだ。
何より「少女から女性」へのテーゼ(あるいは「少年から男性へ」)はある種、このアルバムの核心とも言えるかも知れない。それは何にも汚されていない純真から、汚れをしってなおも、『オーロラになれなかった人』として進んでいくことである。