『空の飛び方』

(※これは(勝手に)ART-SCHOOLSPITZGRAPEVINEの楽曲を全曲解説していく途上で遺跡となってしまっていたBlog「Self Service」の移植記事です。移植日:18/6/22 オリジナルのポスト日は投稿日時参照)

 
スピッツが過渡期にあることが、まじまじと伝わってくる5th。

前作のポップ宣言も不発に終わり、超初期の壊れていく自我としての自分と潜在的にポップを求める自分にどう折り合いをつけて進んでいくかを模索していた当時。必然ではあるが、やはり奇跡的なアルバム『ハチミツ』のプレリュードであると考えて良いだろう。

ポップながら、超初期に見られた毒を取り戻し、よく考えれば禍々しい世界観である、と言う本来のスピッツに立ち返りながらも開けていく過程がうまく表されている。


中期のスピッツの大前提となる「世界に歪められている僕」と「それを救ってくれる君」という図式は既にこの時期から垣間見える。
壊されて、失って、歪んでいく僕と、ただただ一緒に堕ちて行くのではなく、救おうと献身してくれと願う退廃的な世界観をもって、日本のロックシーンはもちろんポップシーンまでをも席巻してしまったスピッツの秘訣はここにあるのかも知れない。

 

この時期の草野マサムネ氏はROCKIN'ON JAPAN誌において、「俺が歌を作るテーマは『セックスと死』だけなんです」と公言。これは後にART-SCHOOL木下氏を惹きつけるほどの言葉だった。

セックスと死、それらに対して名状し難い畏敬の念をただただ祈り、歌うことで草野マサムネ氏は歪みながらも極上のポップソングを体得することになる。

タイトルも秀逸で『空の飛び方』と言う、主観丸出しの方法論で攻めの姿勢が全面に出ている(ちなみに「空もとべるはず」の項でも書いているが、マサムネ氏は単純に空を飛ぶというニュアンスではなく、「幽体離脱して曼荼羅の世界に行くような」とドラッギーな雰囲気を示唆している)。
フェティシズムと変態的ポップソングに満ちたこのアルバム、どう聴かれるか。

94年9月リリース。

空の飛び方

空の飛び方

 

 

1.たまご
相変わらず1曲めからポップ!
しかし、前作の『Crispy!』のような無理してまでの妄想勝ち逃げ宣言としてではなく、傍観的にでも現実を見据えていることが特徴的だ。
<<バナナ浮かぶ夜は涙こらえて/下手なピンボールにだって味方につけた>>と明らかにオナニーソングとしての出発点から、<<君はこの場所で/ボロぎれみたいな僕を抱き寄せた>>と「救ってくれる存在としての君」も既に出来上がっている。
しかし、相変わらずスピッツらしい曲だ。
と言うのも、最後の<<君と僕のよくある…>>と言うフレーズ。「…」に何が入るか直接的には明かしていないが、マサムネは当時のインタビューで、「ネガティヴな言葉が入る」だとか「よくある…と締めくくることで所詮、劇的なこれも(端から見たら)大したことねえんだって言う傍観になってる」と語っている。


2.スパイダー
10thシングル。仮タイトルは「速い曲」。
スピッツの毒性に気付かないような純朴なリスナーでも明らかに分かるくらいのセックスソング。
と同時にこの上ない逃避ソング(マサムネ氏自身も「逃避行型の歌」とも呼んでいる)としても成り立っているのが素晴らしい。
<<可愛い君が好きなもの~>>で始まる"君"像はいかにも箱入り娘(あるいは女の子コミュニティで育って性的にイノセント)的で"僕"の情欲をそそる存在だ。<<洗い立てのブラウスが~>>は特に秀逸。
軽快な80'sネオアコを思わせるギターリフに、ダメダメな"僕"がイノセントな"君"を汚していく、と言うナード男子御用達と言うくらいの青年漫画的歌詞。
勝手に奮闘して、勝手にボルテージが上がって、勝手に"君"を奪いに行く、ヘタレソングだが、サビのポップさも相まってコアなファンにもそこそこのファンにも人気が高い良曲。
ライヴではサビの語尾をしゃくり上げるように歌っていて、それがさらにオーディエンスをアジテイトしている。


3.空も飛べるはず
8thシングル。
スピッツと言ったら?」と問われると、「ロビンソン」と同時にこの曲を挙げる人もかなり多いであろう普遍的な名曲。
しかし、この曲と双頭を張る「ロビンソン」に比べると幾分、毒がある。
「そもそも、空もとべる『はず』と言うタイトルからしておかしいでしょ?」とマサムネ氏が言うように、これは無根拠な妄想ソングあるいは祈りに近いのだ。
そして、<<ゴミできらめく世界が僕たちを拒んでも>>の部分では、世界をゴミと決め付けないといけない、仮想敵を作ることで「君と僕VS世界」を無理やり演じきることができる、ダメな"僕"と言う無茶苦茶な恋愛観が表れているのだ、とマサムネ氏本人も認めている。
また、<<色褪せながらひび割れながら輝く術を求めて>>とギリギリの精神性でもって君と繋がっていくというマサムネ氏の恋愛観を湛えている曲だが、どうしてもサビばかりが強調されがちで、肝心な毒の部分は無視されがちだ。
また<<きっと今は空も飛べるはず>>という部分に関しては何か訳の分からない「ドラッグをキメて曼荼羅の世界にトリップしていく感じでもある」ともマサムネ氏は語っており、そういう意味では最早、一般的なポップソングとしての解釈でなくドラッギーな退廃ソングとすら言えるかも知れない。
この曲を「好き」と公言する前に、その部分を無視してはいけない、というのが私の個人的な思い。
ちなみに、この曲の原型である「めざめ」では、サビは<<君と出会えた痛みがこの胸に溢れてる/きっと今は自由に空も飛べるはず>>と歌われている。
君と出合った「痛み」、だからこそ、それをもって飛べる。スピッツの本質はどっちだろうか?
タイトルは漫画家・犬上すくね氏が短編集『想うということ』(短編集のタイトル自体はGRAPEVINEの同名の曲から引用)の中の最終話「空もとべるはず」で引用。


4.迷子の兵隊
タイトルは当時の自分たちを表す言葉らしい。
ちなみにこういったイメージは後の「ミカンズのテーマ」などにも使いまわされている。
これは歌詞中にも出ていて<<撃ち落とせる雲に同情しては当たりの無いクジを引き続け/しがみつく鳥を探してる終わりなき旅>>という臆病な自分とそれでも夢想し続けるという姿勢を表している(「俺のすべて」の<<残り物さぐる>>につながるようにも感じられる)。
迷子の兵隊は闇の中で五里霧中、敵と相対してるイメージらしい。
また当時のインタビューによると、この曲は「黒い翼」の落ちて行った先の世界を歌っている、とのこと。


5.恋は夕暮れ
能天気なホーンのサウンドから始まる『名前をつけてやる』の終盤の流れを汲んだような曲。
「恋は~」と繰り返す割に、<<恋は届かない/悲しきテレパシー>>と歌っちゃってるところが相変わらず弱々しいが、変態的な感じは薄い。
最後の<<蝶々になる/君のいたずらで>>などは「メモリーズ」に繋がっているようだ。


6.不死身のビーナス
このアルバムのコンセプトの一つに「サウンドはLed Zeppelin寄りで」というのがあったようだ。
この曲はそのコンセプト通りのなんちゃってハードロックサウンドである。
サビ前まで恋愛の素敵な雰囲気を醸し出しつつ、サビで<<最低の君を忘れなーい♪>>なんて歌っちゃうあたり、いじらしいスピッツらしい。
その後に<<不死身のビーナス/いつでも傷だらけ>>と続くところを見ると、この曲は恐らく男性と女性側の視点を交互に歌っている。つまり、馬鹿なオトコとクソったれな恋愛に紛れ込んで、それでも誇りは高く傷つきながら輝こう、と言うビーナスの側で歌っているのだ。
ラストの<<ネズミの街>>のネズミの部分は、ライブではその会場ごとに地名を入れてファンを喜ばせている。が、どう考えても悪趣味なサービス精神だ(褒め言葉)。苦笑


7.ラズベリー
スピッツ屈指のドロドロ変態的セックスソング。
この曲はポップに口ずさめるメロディに、偏執的な歌詞を載せると言うお決まりのスピッツの常套手段を使うと同時に、「女性が歌うと楽しいなぁ」と妄想しながら書かれた変態ソングだという。
のっけから<<泥まみれの汗まみれの短いスカートが未開の地平まで僕を戻す>>とドロドロネバネバの欲望を曝け出しているし、サビは<<もっと切り刻んで/もっと弄んで/この世の果ての花火>>の境地だ。
そしてダメダメな男臭い性癖丸出しの<<おかしいよと言われても構わない/君のヌードをちゃんと見るまでは僕は死ねない>>と続く。イヤラシー!と言われそうだが、マサムネ氏が歌うからだろうか、そんな苦情も聞こえてこない。
<<穴を抜けてこっちへおいでと五円玉の向こうから呼ぶよ>>とかも「五円かよ、安っぽいな」と言うツッコミすら…聞こえません。笑
タイトルは後に木下理樹氏がソロ時代に英単語にして拝借している


8.ヘチマの花
実験精神がありつつも不均等な曲。
元々、このあたりの時期のマサムネ氏の世界観は閉じているか、一方的な主観の押し付け(褒め言葉)が多いからかデュエットしてしまうと、どうも説得力が…。<<いつの時も二人で>>とされると、きな臭くも思えてくる。こればかりは、悪評ですみません。


9.ベビーフェイス
ブルージーなギターのイントロから始まる古臭い田舎の名歌みたいな曲。
<<隠し事の全てに声を与えたら/ざらついた優しさに気付くはずだよ>>というあたりが、良い感じにキュートだ。


10.青い車
9thシングル。
夏の魔物」以降、かなり久々にシングル曲にも関わらず猛毒が秘められていると噂された曲。
この曲は「死神の岬」同様に、心中ソングだという。
確かに<<冷えた僕の手が/君の首筋に噛み付いて弾けた朝/永遠に続くような掟に飽きたら/シャツを着替えて出かけよう>>…「冷えた僕の手」が「弾け」て、「永遠の掟に飽き」たら、「シャツを着替え」て「出かけ」る…よく見てみると、辞世の句と言うか、まっさらの気持ちで死に向かうことを暗示しても聴こえる。
そして、キータームであるが、タイトルになっている「青い車」は僕のものではなく、「君の」ものである。相変わらずの情けなさだが、心中をほのめかすには良いフレーズだ。サビの最後は<<輪廻の果てへ飛び降りよう/終わりなき夢に落ちて行こう/今変わっていくよ>>である。恐ろしい。
<<つまらない宝物を眺めよう/偽者のかけらにキスしよう>>も背徳的な感じを湛えている。
最後のサビで<<今変わっていくよ>>と連呼されると真意はどうあれ、不吉であることは確かだ。


11.サンシャイン
前曲の流れを受けてか、連綿と続く、静かな"死"の道の上で口ずさみながら歩いていくようなイメージの曲。
中期以降スピッツは最後の曲に、さりげなく意味深な曲を持ってくることが多いが、この曲はそのはしりと言える。
全編の詞世界が静謐で、砕け散る前の世界を懐古しているかのようだ。
ジャケットのこの詞が書かれている次のページに天使が曇った虚空を眺めている写真が載せられているが、その雰囲気である。
まさに、このアルバムの幕引きにふさわしい曲。
なおマサムネ氏は本作でこの曲が最も気に入っているとのこと。