『ハチミツ』

(※これは(勝手に)ART-SCHOOLSPITZGRAPEVINEの楽曲を全曲解説していく途上で遺跡となってしまっていたBlog「Self Service」の移植記事です。移植日:18/6/23 オリジナルのポスト日は投稿日時参照)

 

 
自他共に認め、セールス的にも最も成功した世紀の名盤が本作。

前作で取り戻した超初期的な感覚を、これほどまでにないポップセンスでコーティング。もちろん、ところどころに毒を入れることは忘れずに、気がつけばスピッツの虜にさせるトリックも健在。

折りしも、Flipper's Guitarの余韻が残る渋谷系全盛の時代とも共振してスタイリッシュながら、よく見ると禍々しいPVやどこか歪なアートワークも作品の内容と相まって伝わってくる。

タイトルに関してマサムネ氏はROCKIN' ON JAPAN誌のインタビューで、「『溶け合う』と『飛ぶ』が2大キーワードで前作は『飛ぶ』の色が濃かったから、今回は『溶け合う』で」としている。

このアルバムが今までのスピッツのそれと決定的に違うのは、一人遊びや妄想の延長線上に、本当の"君"が存在することだ。何もない虚空を見つめた一人遊びの先に、できるならば、"君"と出会いたいと言う祈りが存在すること。これこそが、妄想青年・草野マサムネ変革の時期であると同時にスピッツと言うバンドの脱皮の時期であったことの証左だ。

そんなアティテュードを示すかのように、このアルバムはこんな一節から始まる。
<<一人空しくビスケットの/しけってる日々を経て/出会った君が初めての/心さらけ出せる>>

これらの変化に対してテツヤ氏は「マサムネは恋人第一主義だから恋人が変わったのがデカい」と冗談臭く話していたが、あながち間違ってはいないだろう。


しかし、それでもスピッツの、草野マサムネ氏の苦悩は終わらない。
妄想を通り越して生身の君に出会ったとしても、思い通りにはいかないし、絡まっても虚しいし、生身だからこそ何も伝わらない、どこにも届かない…そう言った切なさや落胆の影がそこかしこに見受けられる。
ちなみにマサムネ氏自身は宝島誌のインタビューにおいて「やっと手を繋げるぐらいのカップルが公園を歩いていたとしても、周りに蝶々なんて飛んでなくて、猫の死体がすぐそばに転がっていたりとか。そういうのが日常でしょ、本当は。そこをさらっと表現できた」と語っている。このポップなメルヘンと残酷なセンシティヴィティが入り交じるアルバムに対して、まさに言い得て妙だ。

しかし、それでもスピッツは生身の"君"と出会う覚悟は決めたのだ。


だからこそ、ここから始まる…始めるのだ、と言うエヴァーグリーンな名盤。


今から振り返ると、これ以降『インディゴ地平線』、『フェイクファー』と澄み渡りながらも、切り刻まれるくらいの残酷な切なさの世界を描く事になるスピッツの入り口とも解釈できる。どの切り口でこの作品を見つけようが、「転換」の名盤なのだ。
このBlogでは本作から『フェイクファー』までを中期としている。

95年9月リリース。

ハチミツ

ハチミツ

 

 

1.ハチミツ
冒頭文でも書いたように、歌いだしの<<一人空しくビスケットの/しけってる日々を経て/出会った君が始めての/心さらけ出せる>>と言う台詞があまりに強力。
これまでのスピッツの一人遊びは終わったのだ。
とは言え、この曲の女性観は一筋縄ではいかない。
素敵な恋人なんだけど、僕を弄んでるようで、意地っ張りで、どこか捉えどころのない人物。
そこで歌われるのは<<懐かしい遊びが甦るのは/灯りの場所まで綱渡りしたから>>。面白い。要するに、この「懐かしい遊び」は明らかに超初期スピッツの「一人遊び」であって、「灯りの場所まで綱渡りをしたから」は君に出会えたからこそ、むしろ"君"に触れられない思いが加速して結局、元通り…か。
<<蝶々結びを解くように>>はセクシャルだし、その後に続く<<珍しい宝石が拾えないなら/二人のかけらで間に合わせてしまえ>>は後に『フェイクファー』にも続く、幸せに本当も嘘も無く、むしろその実態の掴めないフェイクこそが幸せと言う捩れた恋愛観を上手く言い表している。
全編を通して変拍子だが、抵抗なく聞かせる素晴らしいポップソング。


2.涙がキラリ☆
12thシングル。
タイトルに「☆」が入ってるあたり、少女マンガちっくだが、歌詞の中身も少女マンガっぽい。
この曲は季節感が大好きなマサムネ氏によって七夕にリリースされることを前提とした、"七夕ソング"だと公言されている。「浴衣」と言う言葉は季節感を出すために意図的に入れた、とのこと。
片思いソングで、<<君の記憶の片隅に居座ることを/今決めたから>>と一方的に宣言しているのが可愛い。
しかし、サビで歌ってるのは<<俺が天使だったなら/本当はちょっと触りたい/南風やってこい>>と相変わらずセクシャルだ。ここで「本当はちょっと触りたい」と敢えて妄想でなく、現実の肉体関係が無いことを示すことで、敢えて"俺"の悶々としたエロティシズムを表している、らしい。
RO誌でのマサムネの発言では「これは俺が天使だったらいろいろホーリーな気持ちで夜を過ごせるけど、やっぱりやましい気持ちがあって『どうしよう』みたいな、そういう17歳ぐらいの頃の心情を保ってる曲なんですよ」とのこと。
タイトルは後に犬上すくね氏が『うぃうぃdays』で引用。


3.歩き出せ、クローバー
「ローランダー、空へ」以降、久しぶりに句読点が入っている。
この曲は、阪神淡路大震災地下鉄サリン事件、それにベトナム戦争の映像を目の当たりにしたマサムネ氏が人間の脆弱性を思い、それに対してのアンチテーゼとして掲げられた曲で、全ての節で徹底的に「生き延びること」を歌っている。「(阪神淡路)震災やオウム真理教事件の被害者や遺族への想いを込めている」とマサムネ氏は表明している。
<<泣きながら笑い出し「嬉しい!」と何度も叫び>>と言うところが、前曲とは違った意味で少女マンガちっくで可愛いが、その後の詞が(震災や戦争などの)絶対的な不条理を前に獣としての人間を描き出していて歪つ。


4.ルナルナ
このアルバムとしては初めてのオナニーソング。田村氏のうねりまくるベースラインがやけに心地良い。
マサムネ氏曰く、「プールのあるラブホテルに何か知らないけど一人で行っちゃった歌」らしい。
<<羊の夜をビールで洗う/冷たい壁にもたれているよ>>なんかは、酒を飲んでサイケな状態になってから君のことを夢想するイメージ、とのこと。
片思いだからこそ、善にも悪にでもなれるこの世界で悪になりきってやる!!と偽悪的になったマサムネのひねくれ感が表出していて面白い。


5.愛のことば
スピッツ史上、最も無残で救いの無い、隠れた大名曲…だったが約20年の時を経て、音圧が増したリミックス版が配信限定シングルとなったプチ話題を呼んだ。
とにかく、この曲はPVが素晴らしすぎるので是非、観てみていただきたい。このBlogでは異例ながら、MVを貼り付ける。

ここまで、振り切って残虐なPVは邦/洋問わずなかなか観られない。最早NINE INCH NAILESの世界に片脚を突っ込んでいるようだ。
全編を通して薄こけたネガの世界に映し出されるのは、炸裂する花瓶、幽閉された天使、首筋に被験者番号を刻まれた女性、手術台に乗せられた少年、その少年が落としたブリキの人形を容赦なく踏み潰すタイヤ、おびただしく並ぶ死体の列、息絶える監禁者、通れない出口を見つめる天使、そして最後に「溶け合いながら」と歌いながら、回転する双子の亡骸…。
ここで歌われている、映されているのは間違いなく「絶対的な暴力とそれを避けられない人間」だ。
歌詞も全て秀逸だが、<<優しい空の色/いつも通り/彼らの青い血に染まった/なんとなく薄い空>>はスピッツ史上、ベスト1では無いかと思うくらい、文句のつけようがないくらい透明に透き通った残虐な一節。後にART木下氏が「光と身体」で借用している。
絶対的な暴力を目の当たりにしても、どうにか生き延びようとする「愛のことば」、でもそれはペットボトルのように砕け散り、犯され壊されていく…。
それらを踏まえて歌い出しの<<限りある未来を搾り取る日々から抜け出そうと誘った/君の目に映る海>>は、これまでの彼らを鑑みても心中を誘っているようにも聴こえる。最後の「溶け合いながら…」のリフレインも陰鬱で文字通り二人狂気の沙汰で溶け合いながら、愛を貪り合っている感じすらする。
このアルバムに入れるにはアンバランスかとも思うが、むしろ今までのハッピーな世界観から一転、グロテスクな光景をこれでもか、と言うくらい見せ付ける様はさすがオルタナティヴ・ロックバンド、スピッツと言ったところか。


6.トンガリ '95
前曲の残虐さを吹き飛ばすような、エネルギッシュなパワーコードで突っ走る曲で、いわく「スピッツのテーマ」。「トンガリ」がドイツ語で「スピッツ」を表すからだそうだ。
タイトル通り、ちょっととがってる女の子との情事の歌とのこと。
<<プラスチックのカバーを/はずしたその後で/短い夢をみてる/おかしなフライデー>>はどこか、「海とピンク」を彷彿とさせるが、全体的にこちらの方が悶々としている感じが強い。しかし、これも<<壊れかけたサイボーグをみがきながら>>とその廃れていく自分さえ肯定してどうにか君に「寂しさを打ち消してほしい」(愛し合いたいとかでは、ない)と願う"俺"は歪んでいるが健気だ。


7.あじさい通り
少しプログレッシヴな音色のシンセの音がアンニュイな雰囲気を醸し出す「雨の歌」。
後の「ナンプラー日和」を思い出すような、<<いつも笑われているさえない毎日/でもあの娘だけは光の粒をちょっとわけてくれた/明日の窓で>>から始まるこの曲の主人公は虐げられているが、曲調からはさして陰鬱になったりはせず、ナイーヴくらいの感じだろうか。
マサムネはROCKIN' ON JAPAN誌のインタビューで「<<あの娘>>って言葉の響きにはすごくエッチなものを感じる。だって<<あの娘>>って言ってる限りでは絶対に近付けないじゃないですか」と語っている。
2番の<<愛と言うよりは/ずっとまじめなジョーク>>は面白いフレーズで、愛よりもまじめな割に"ジョーク"というのは、何だかパーフリのよう。しかし、その真意は<<だって信じることは間抜けなゲームと何度言い聞かせたか/迷いの中で>>である。つまり、Syrup「幽体離脱」のように<<愛情が怖いんですか/裏切られた人間しか分からないさ/こんな気持ちは>>な時期を通り越して、それでもこの娘を信じていいのだろうか、という葛藤からくるものなのだ。
「黒い翼」で「いつもモザイクの切れ端だけ握らされ」てきた状況からはえらく変わっている。


8.ロビンソン
11thシングル。
疑いようもなく、自他共に認めるスピッツで最も知名度のある、いわゆる彼らの「顔」な曲であり、たとえばNIRVANA「Sumells Like Teen Spirit」やRadiohead「Creep」のように後々まで(イメージ的に)呪縛のようにつきまとってしまう曲。
タイトルの「ロビンソン」は旅行好きのマサムネ氏がタイに訪れた際、ロビンソン百貨店から拝借した仮タイトルをそのまま用いたもの(余談であるが個人的には、初めて訪泰した時に平沢進氏関連より先に見に行って感無量だった)。
大ヒット作とは言え、前作『空の飛び方』の方法論と大きくは変わっていない上に、今までのスピッツをフラットにだしたものでマサムネ本人もできた時は「また地味な曲作ったなぁ…」という印象だったという。
しかし、この曲でブレイクしたことは「君が思い出になる前に」で注目された時よりも嬉しいとも語っており、その理由として、男性的なマッチョイズムはナシで、女性的な中性的な面(キュートな物事に惹かれることが多いという)を前面に出してもいけるんだと確信できたからとも語っている。

またリズミカルなリズム隊と端麗なアルペジオのイントロも鮮烈で、テツヤ氏はこの曲でブレイクしたことで、「やっぱりアルペジオは自分の特技なのだ」と確信したという。
<<誰も触れない二人だけの国>>という秀逸すぎるサビの始まりがいつ聴いても、やはり最高だ。1番サビにいたるまでの、<<同じセリフ/同じ時/思わず口にするような/ありふれたこの魔法で作り上げたよ>>というフレーズは、「ありふれた」と歌っていながらも、「たまご」のオルタナ感はなく、ただただささやかな歓喜に満ちあふれている上に、少女マンガのような胸がキュンとなるような、何気ない一ページを歌ってることも素晴らしい。マサムネ氏は「ここを書けて良かった」とも語っている。
<<片隅に捨てられて呼吸を止めない猫も/どこか似てる/抱き上げて/無理矢理に頬よせるよ>>というフレーズも、後の「スピカ」や「ウィリー」での「はぐれ猿」感もそのまま、やはりマイノリティの彷徨という感じで素晴らしい。
<<ルララ/宇宙の風にのる>>も、躍動と言うよりもハッピー有り余って昇天しちゃってる感じが、ドラッギーな感じもして『空の飛び方』も思わせるし、悪くない。
ちなみにマサムネ氏は「空を飛べるはず」ももちろんだが、この曲も「ライヴで合唱されるとやっぱ違うかなぁって思う。基本的にやっぱり『僕』の歌だから」と語っている。個人的には、凄まじく同意である。


9.Y
後に、GOING UNDER GROUNDによる名カバーで再評価された別れの歌。
タイトルの「Y」は一本道が二本道に分化していく様を記号的に表したもの。
『オーロラになれなかった人のために』に立ち返ったような静謐なサウンド。
イノセントに傷つき疲れた二人が出会い、しかし、それもうまくいかなったという想いが歌詞の隅々から伝わってくる。
<<慣らされていた置き去りの時から這い上がり無邪気に微笑んだ>>は『プール』の「一人を忘れた世界」を思わせるが、こちらの方が虐げられている感じが幾分強い。<<悲しいこともある/だけど夢は続く/目をふせないで>>も後の『スピカ』の<<幸せは途切れながらも続くのです>>を思わせるが、相変わらずこちらはあくまで後ろ向きだ。
「触ったらすべてが消えそうな君」が「ボロボロの約束/胸に抱いて」、「鳥になる」とするととてもレクイエム的だが、それほどまでに粉々になった二人の関係を上手く表している。


10.グラスホッパー
後に彼らの事務所の名前にもなったこの曲だが、仮タイトルは「レモン」。
「トンガリ '95」以降、久し振りのアッパーな曲。イントロのバックでは80'sゴスを思わせる不吉なギターが鳴っているのも面白い。
歌詞を見れば、紛れも無いセックスソングだが、<<本当なら死ぬまで恋も知らないで/力を抱え込んでくずれ込んでたかもね>><<冷たくしてごめんね/抱き上げて/愛撫する>>(「抱え込む」と「抱き上げる」が対になっている)などの「してやったり」感がGRAPEVINEの世界をも思わせる。恋愛に疎かった相手("君"ではない。露骨なセックスソングにも関わらず、この曲に"君"はでてこない)を、目覚めさせて、恋愛体質に仕立て上げた、という感じもする。
<<桃の香りがして幸せすぎる窓から投げ捨てたハイヒール>>などはフェロモンむんむんでセクシーであるが一番は、やはり<<こっそり二人/裸で跳ねる/明日はきっとアレに届いてる>>だろう。アレ。何か。何に「届く」のか。それを詮索するほど野暮な事は無い。アレによって、キュートな曲にも、秘密の情事にも、幼すぎる関係にも、はたまた純愛にもなり得る。これをどう解釈するかが、この曲の聴き手に開かれた想像ののりしろだ。


11.君と暮らせたら
この「ハチミツ」以降、彼らはアルバムの最後の曲に、爽やかながら、どこか歪んだ珠玉の曲を持ってくる事が多くなる。この曲は、その第1弾。
アルバムの最後の曲にふさわしい、エヴァーグリーンで綺麗なギターコードが鳴らされ、<<緑のトンネル抜けて>>から始まる、鮮やかな緑と光の世界は爽やかで、そんな<<可愛い年月を/君と暮らせたら>>(マサムネ氏はここで「『楽しい』や『優しい』という言葉を入れようとしたら気に入らなかったが、『可愛い』でハマった、と語っている)との想像が微笑ましい。2番では<<寂しいあの街で>>としているのも「二人きりの世界」を夢想している感じで、良い。
が、その爽やかな雰囲気がいきなり転調した後の、<<十五の頃の隙だらけの僕に笑われて/今日も眠りの世界へと滑り落ちて行く>>を決して見逃してはいけない。
要するにこれ、夢オチなのだ。この"僕"はまだ、"君"にすら出会っていない"僕"だ。あるいは、"君"に何一つ行動を起こせないまま、"君"との二人の世界だけを夢想してしまう…"君"への独占欲だけ肥大化してしまう途方もない"僕"だ(その独占欲も逃避的なものーー「君と暮らせたら」と歌われているその場所はどこも現実感が著しく欠如しているーーであるし、どこか思考停止を促しているようでパラノイアックでもあるのを更に見逃すべからず)。
この曲があるのと無いのとでは、このアルバムは大きく変わっていただろう。
しかし、この曲がある事でスピッツは未だに後ろ向きで、消極的な"僕"の立場にいる事は決して変わらない事が分かる。このアルバムでも、"君"に触れられるようにと彼らはただ願っているのだ。