『ヒバリのこころ』(ミニアルバム)

(※これは(勝手に)ART-SCHOOLSPITZGRAPEVINEの楽曲を全曲解説していく途上で遺跡となってしまっていたBlog「Self Service」の移植記事です。移植日:18/6/22 オリジナルのポスト日は投稿日時参照)


カセット(「SPITZ」、「恋のうた」など)やソノシート(「鳥になって」)といった自主制作音源を発表していたインディー期のスピッツで現代に至るまで、マニア/コレクター品ではない正真正銘の正規盤として見れるのは、このアルバムからだろう。

スピッツの結成~躍進の大きなきっかけとなった新宿ロフト関連のインディー、ミストラル・レーベルからリリースされたこの『ヒバリのこころ』は、端的にメジャー以降とは大きく異なる2点が挙げられる。

1つは、メジャー以降、マサムネ氏が殊更に強調したアーティスト(つまり自分自身)の写真をジャケットに一切つかわないという基本姿勢が、さすがにインディーまでは貫かれていなかったこと。(サイケ風に歪んではいるけれど)マサムネ氏のどアップと3人が平然と映り込んでいる。やはり「弱い犬ほどキャンキャン吠える」が心情のスピッツでもまだ、インディー期はエンタメ業界の慣習に反発できなかったのか。

2つめは、サウンド面に未だビートパンクを通過した名残がメジャー以降とは比べ物にならないくらい残っていることだ。それはタイトルトラック「ヒバリのこころ」を聴いただけで瞭然。ネオアコでも(単純な)パンクでもないおかしくも激しい演奏と言葉の魔術で聴く者を魅了するスピッツであるが、このアルバムでは幾分パンクによっている。


しかし、この時点で既に草野マサムネ氏の世界観は萌芽している。「353号線のうた」と「死にもの狂いのカゲロウを見ていた」以外は歌詞やアレンジを少し変えてメジャー以降のディスコグラフィー入りを果たしている(音源化はされていないが後者も実はDVDのボーナス映像でプレイされている)ことがその証左となるかも知れない。
既にマサムネの歌詞はストレートに歪つでポップでキュートなのにパラノイアックだ。
もちろん演奏、歌詞、スタイルなど、どれをとってもメジャー以降の方が更に磨きがかかっていることは言うまでもないが、スピッツというバンドを紐解く際にこのアルバムが出発点として出されるのも必然であるほどのマサムネの確固たる初期衝動に満ちている。

90年3月リリース。

ヒバリのこころ

ヒバリのこころ

 

 

1.ヒバリのこころ
基本的にはメジャーアルバム『スピッツ』の最終曲であり、リードトラックでもある同名の曲のページを参照していただきたいが、インディー版では、メジャー以降と演奏が決定的に異なっている曲の一つでもある。
基本的なリードギターのアレンジなどは同じだが、リズムがメジャー以降のそれよりブレイク部分がなく、あってもサビ前のように変に唐突でぶきっちょになっている。かと言って、ヘタな演奏であるかと言われれば、そうでもないが、やはりメジャー以降のような洗練された印象は薄く、全体的にアマチュアバンドっぽさが垣間見える。マサムネ氏のメジャー以降よりも可愛げのあるボーカリゼーションにしてもそうだ。
ちなみに、メジャー以降とは歌詞が一部分だけ違っていることに気付くことができる。
メジャー以降は<<色んなことがあったけど「みんな」元に戻っていく>>なのに対して、こちらは<<色んなことがあったけど「すぐに」元に戻っていく>>である。これを見てもどちらの方がより洗練されているかは一目瞭然だろう。


2.トゲトゲの木
花鳥風月』の当該の曲と同内容。


3.353号線のうた
メジャー以降、音源化がなされていない秘境的な曲の一つ。
最初からマサムネ氏の言うところの"牡馬さんリズム"のビートが刻まれていき、サビもメンバー全員の<<パーパーパパーパパーパー>>というコーラスで元気が満ちているが、歌詞の方は、深夜の353号線(群馬県から新潟県に至るまでの国道353号線のようだ)を2人でドライヴしながら、夜の沈黙の刹那に奇妙な情欲が見え隠れするサイケな感じがする。
基本的に超初期のスピッツを1曲にまとめ上げたような曲だが、それはこの時点で既に草野マサムネの表現が一つ完成されたものであることを示している。
ちなみに「ヒバリのこころ」がタイトルトラックなら、この曲はPVも作られておりリードトラックのような役割を果たしていたのではないかと推測する。そのPVはずっとメンバーが歩いている様をホームビデオに録画しただけのようなMVと呼びがたいような映像ではあるが、途中にテロップで本作の宣伝もしており、その字幕の内容が結構シュールで面白い。


4.恋のうた
名前をつけてやる』の当該の曲と同内容。


5.おっぱい
『花鳥風月』に収録されているバージョンとは若干違いギターのメロが入る前のイントロとしてドラムのリズムを刻む音がフェードインで入っている。それ以外は基本的に同じ。


6.死にもの狂いのカゲロウを見ていた
このアルバムの中で最も疾走感もあり、(どちらかと言えば)短い歌詞の中に、どこか俯きがちな「カゲロウ」="君"を応援するでもなく諦念にも似た思いで見続けるというどこか狂気を感じさせる曲。
落ち着きつつ、豊満なメロディーと「田舎の生活」を思わせる「輪廻」の情景を歌った後に、サビの<<殺されないでね/ちゃんと隠れてよ/両手合わせたら涙がこぼれ落ちた/ひとりじゃ生きていけない>>が強烈だ。連綿と続く日常の退屈に殺されそうになりながらもどうにか立っていようと願うカゲロウと、そこに自分を重ねながらもどこか傍観的な「僕」が、カゲロウを見つめながら、ため息のように吐き出す<<ひとりじゃいきていけない>>という言葉には有無を言わせぬ切迫感と独りという事実だけが突き刺さっていくようでサウンドにも増して清冽。
『名前をつけてやる』の夕暮れの孤独と『オーロラになれなかった人のために』の諦念が入り交じりながらもパンクとしての強かさを兼ね備えたこの曲はもっと多くの人に聴かれるべきだとも思ってしまう。転調した後に長々とフェードアウトしていくアウトロのトリップ感もそれを増幅していくようだ。