バンドブログ

(※これは廃墟となっていた過去のバンドBlog「Bathtub」からのサルベージ記事です。サルベージ日:18/6/22 オリジナルのポスト日は投稿日時参照)

 

Bathroom Sketchesブログ、「Bathtub」はじまりましたね。。
京都/大阪のインディー・ロックバンド、Bathroom SketchesのGuitar/Vocal/Synthesizer、作詞・作曲・編曲をしています。バンドの発起人で現在残っている唯一のオリジナルメンバーです。。


さて、自己紹介及びバンドの紹介はとても最低限。これくらいにして、他のメンバーに任せたいと思います。
ザヌ(森實)やまつ氏(松永)、後からは但馬さんがバンドの来歴やリリースされるアルバム『(…Across the)Yellow Town, Pink St.』の制作時のエピソードなんかを存分に書いてくれると思います。
…と、もう一つ、簡単にバンドメンバーの紹介もこれまた最低限させていただきましょうか…
僕からみて、ザヌは高校のクラブの1年下の、まつ氏と但馬さんは2年下の後輩でした。
在学時から彼らはBathroom Sketchesでのパートと同じ各パートを各自のバンドで担当していました。
僕はというと、後述しますが、今のパートのギター、ヴォーカル、シンセサイザー、どれも全く担当していませんでした。
さて、メンバー紹介はこのくらいにさせていただきます。


このブログで僕は、あえて高校の頃と同じ姿勢で書いていこうと思います(バンド外での僕の書き物で、青野のいつもの文体およびテンションは散々見飽きたよ!という方もおられるかと思いますので苦笑)。
でも今思い返せば、後輩たちはもちろん、他県に及ぶバンドマンやリスナーの方たちと繋がることができました。そして今バンド外でソロ活動的に書き物をしているものにも確実に繋がっていると考えると少し面白くもあります。Bathroomsのオリジナルメンバーのリョージくん(山田)は、そんな僕の高校生の時の読者さんでして、その縁でBathroomsが結成されたと思うとちょっと感慨深くもあります。

なので、その高校の時と同じ姿勢で気ままに書いていこうと思います。とは言っても僕はあまりこのブログには書き込みません。基本的には他3人のメンバーに任せたいと思います。


緊張するかと思いましたが、それほどしませんね…奇しくもメンバーが全員、高校のクラブメイトで揃ったということで当時のことを思い出しつつ書いてみようと思います。


これは書き出すと長くなるので、かなり省略しつつ書こうと思うけれど、
中学の時分は、京都の田舎町(どれくらい田舎かと言うと、TSUTAYAまで車がないといけないので、CDを借りるという選択肢がなく買うしかなかった。かと言って、街にレコードショップなどある訳もなく、これまた自転車で30分以上かかる滋賀発の某チェーン店スーパーのささやかな、本当にささやかな隅っこのCDコーナーしかないほどの田舎)で、鬱々と色んな音楽雑誌を読みあさりながら、90'sUSオルタナ下北系のアーティストを中心に聴きながら、非常に鬱々と暮らしていました。それで、この街を出て、軽音部のある高校に行こうと思っていたのですね。バンドマンならギターから買うのが普通なんでしょうが、僕は、なぜか色々あって、ベースを買って1人家で弾いてました。これがまた虚しい。当時、音楽の話ができる友人など中学には1人いたかいないか…当然、田舎なもんで、スタジオがないどころか、楽器を持っているクラスメイトさえいないので、もちろんバンドなんて組めもせず、家で鬱々とヘッドフォンでベースを弾いていました(この中学というのもまたかなり変わってたんですよね、今から思うと)。

で、とりあえず、紆余曲折…これもまた書き出すと異常に長くなるので紆余曲折としつつ…あって、市内の高校合格しまして。これで軽音部のある高校に行ける!バンドが組める!と意気揚々としてた、と思う。今思い返すと。
京都に伏見桃山というところがあるんですけど、合格してから入学するまでの春休みは、そこのTSUTAYAさんに日々通ってた。


今思い返せば、この時がリスナーとしての意欲はピークだったと思う。一日に邦楽・洋楽問わず何十枚、時には百枚単位で試聴しまくって(あまり来店者が少なかったのでできたけど…)毎日気に入ったものを数枚借りると言うのを繰り返してました。

この時は軽音部のある高校に入学するのだから、生半可なバックグラウンドではいけない!少しでも多くの音楽を吸収せねば!という気持ち…。この時に出会ったアーティストやアルバムからは、今でもかなり影響を受けているとも思います。


で、高校に入学して、叩くは、もちろん軽音部の扉。唖然。

同級生で見学に来てる人は2,3人、先輩も10人弱、在籍バンド数2バンド、ついこの前に個室のスタジオ部屋を借りられたところ、新設校にも関わらず活気のない雰囲気、部員間の交流もほとんどない、そして今では恩師となっている顧問から通達される「ある程度の部員数が来なければ廃部だなぁ」、見学に来てた子の「こんなクソ真面目学校で、音楽やれたら得くらいなー」という言葉。。

茫然自失になりながら、そこからは『けいおん!』の田井中律ちゃんのごとく、クラスメイトで、入学頃の自己紹介をした時に「音楽が好き」と語っていた人(ここで友達、と当時は言えなかったのが問題です。自分は青野なので大体名簿1番になるのは慣れているのですが、その時の席は四方を女子の方々に囲まれて男子の友達を作れませんでした。。人見知りだったので6,7月頃まで同性の友達ができず…なので、休み時間にはヘッドフォンで音楽を聴いていた気がします)を勧誘し、どうにかVo以外のメンバーが揃いました。後にVoも正式に加入してくれたんですが…
それが先に書いたバンドですが、3年間演っていました。
その時のドラムが今はシンガロンパレードでジョンとして活動しているBathroomsのオリジナルメンバーの高橋くんでした。

しかし相変わらず廃部寸前なのはかわらなかったので、1年の頃から部長にならせてもらって、積極的に下級生の部員と関わっていたと思います(そもそも軽音部ってどうしてもバンド単位の行動になってしまって、上下の関わりがなくなってしまいがちなんですよね。それが過疎の原因と思っていたので、下級生と関わって居心地の良い場所にしよう、と)。今思い返せば、この時が現時点で自分の人生でピークに青春的にキラキラしてた時期だったように思います…この後、また鬱々に戻りますが。。
先輩方にも関わっていこうと思ってたのですが、いかんせん僕、進学校でパーマをあてて茶髪(たまに金髪)に染めていたり眉毛なし、シャツ出し、ダボダボのパンツという軽薄なルックスだったのもあり(これ中学からの悪しき価値観というか、間違ったスタイルだと思います…)、上級生の方の心象が悪いのではないかと神経質に思ったり、実際歳上の方と関わるのがとても苦手だったので、頑張って関わっていこうと思ったんですが、いかんせん音楽的共通項を見つけることも難しく、なかなかだったのですが、そこで出会ったのが2つ上の先輩が佐藤直哉さんで、彼は今でも非常に仲良くしていますね。。在学中から、彼のユニットのサポートを何度となくしたり、直近では彼のアルバムにシンセサイザーで参加したり、今回のアルバムにもアドバイザーとして協力して下さいました…
で、そうこうしている内に卒業する頃には100人を超えるか超えないかの部活になって良かったと今でも思えるんですけど(本当3年間ライヴも何もかも好き勝手やってましたしね)。。


そうしている内に出会ったのが今のBathroomsのメンバーになっている3人ですね。

最初にザヌと出会いました。1つ下なので。
僕、下級生だったり年下だったりは、とても好きなので(関わっていきやすい)すが、ザヌだけは数少ない例外で、最初の頃、彼の心象は最悪でした。

僕は当時、肩にかかるかかからないかくらいのロン毛だったのですが、同じロン毛でかぶった時点で心象が悪いのですが、イケメンで軽音部に入っているのにアコギしか持たず、エレキは持っていない。スカしたやつだ、「いけすかない」と思ってたのですが、不思議なことに時が経てばそんな思いも氷解して、気がつけば、僕達のバンドのライヴを観にきてくれた今はex-chou chou marged syrups.の宇野くん(他校)と一緒に3人でバンドを組んでましたね…。。むしろ僕が彼を誘う形で。

その時、僕はB&Voだったので、Velvet Crushみたいなオルタナ感のあるパワーポップなバンドをしようと思っていたのですが、残念ながらVelvet CrushやらLemonheadsやら聴いている人が周りにいなかったので、Burger Nudsのようなギターロックっぽい曲になりましたね(B&Voなのに…)。

で、そんなバンドもありつつ、彼は彼自身色々あって一時期誰とも連絡を断ってた(のかな…??当時のガールフレンドとか限られた人には連絡とっていたのかも)のですが、同じ大学に来て、その食堂で久しぶりに話しながらまた仲良くなって、紆余曲折あってバンドに入りました。


次に会ったのはまつ氏と但馬さん。

まつ氏は…2つ下の後輩とは僕当時からよく関わっていたのですが…最初それほど深い関わりがなかったのですが、何かつっこんでいた気がします。と言うのも、彼は一見すると堅物で、クソ真面目なルックスだったので(今は普通のルックスですが昔は苦学生みたいなルックスだった)、どう関わって良いか悩んでいたんですね。ただ彼がドラムセットの前に坐った時には、すごかったです。苦学生ルックスからリズムキープ無視で猛烈にハシりまくり、バシバシに叩きまくる喧しいスタイル。この人、面白いな、と思いました。
もうとにかくルックスに反してドラムがうるさいというか、ハシってもすごい存在感あるんですよね(パッと見、ムキムキなルックスという訳でもなかった、どころか、むしろ細かったのに)。それでスタイルがアツいね、と仲良くなった記憶が…。
で、彼もまた同じ大学に進学して、紆余曲折あって、今のメンバーでは、僕の次に昔からいるメンバーですが、良い意味でやかましいドラムはそのままにタイトに響かせてくれています(アルバムでも犬飼さんのライナーに書かれていたように、「騒々しくもタイトなドラム」になりましたね)。
あと、まつ氏と言うあだ名は、当時の彼の苦学生スタイルをリスペクトして、付けられた名前だったと思う。


で、但馬さん。
但馬さんは、当時の僕の高校では珍しい、ガールズバンドでベースを弾いていた。まつ氏よりも最初期はよく喋ったイメージが。で、但馬さんの当時のイメージはスマパンのD'arcy。と言うのも、彼女、ライヴの時にはどんな時にでも常に同じ角度でドラムを見つめながら(客席はほとんどみてない…ように見えた)、ゴリゴリのベースを弾いているんですよね。
但馬さんが在籍していたバンドも、良い意味で高校のガールズバンド的ではあまりない、割とクールなバンドだったので、その中で一心にベース弾いているスタイルがカッコ良いなと思っていました。これまた紆余曲折あってBathroomsのベースで入って下さって、今回のアルバムでは「水槽」「Affairs」などの楽曲では彼女のコーラスワークを聴くことができます。
ちなみに当時、但馬さんはヴォーカルもコーラスもしていなかったと思うので、意外に彼女のコーラスワークが聴けるのは珍しいのでは!?と思います。今思い返してみれば。

 

と言った感じかな。。

途中から自分語りと中途半端なメンバー紹介になってしまった。。苦笑

オリジナルメンバーは現在、僕1人なので、詳細なメンバー紹介やバンドの来歴なんかは、また別の機会に書こうと思います。。。

でも、まあバンド外のソロ活動やらで青野の文は読み慣れてるし、もうええて!と思われている方もおられるでしょうし、これくらいのゆるーりとしたテンションやと良いかな、と。。苦笑


ひとまず、今回の記事はこれくらいで…
拾い残した物事があれば、と言うかあると思うのだけれど…それはメンバーに補完してもらいつつ、僕も鬱陶しくない範囲で書いていこうと思います(書き出すと長文になり過ぎるのがいかんところ)。。

 

 

PS:改めてリリースされる『(…Across the)Yellow Town, Pink St.』収録曲の「水槽」を聴いてみたら物凄いファズギターがギャンギャンですな…よろしければ是非どうぞ。。