配信ライブ詳細告知&Pizzicato Five『Overdose』(レコメンド)

(※これは廃墟となっていた過去のバンドBlog「Bathtub」からのサルベージ記事です。サルベージ日:18/6/22 オリジナルのポスト日は投稿日時参照)

 

HPやTwitterFacebookページ、また当ブログでまつ氏が告知していますが、Bathroom Sketches、初のUst中継ワンマンライブ「可視浴」を開催します。

 

 

アルバムリリースに際してのライブでもあるのですが、制作中からリリースライブはスタジオのUst中継ができるステージで行おうと決めていました。と言うのも、今回アルバム制作に関わって下さった方はもちろん、アルバムをお買い求めくださった方も、またアルバム一言コメントを寄せて下さっている方も、首都圏在住の方や九州の方までおられて物理的に京都や大阪をはじめとする関西圏に観に来ていただくのが困難な方も多いと思われ、ならばUst中継でスタジオのライブステージで行えば遠方の方も観られると思っていたからです。それにBathroomsは(まだまだなところばかりですが)ウェブコンテンツを充実させていくバンドにしていくことをザヌが参加した時くらいから念頭に置いていたからです。これからライブだけでなくUstで色々な配信をしていく予定です。

YouTubeと言えば、「Bathroom Sketches1stフルアルバムリリース&配信ライブ告知」と題したグリーティング動画をアップロードしました。
是非ご覧ください。動画の制作はザヌがやってくれました。

ライブタイトル「可視浴」は僕が考えました。
先にも書いたように、なかなか引きこもりがちなバンドっぽくなっているので、「可視」のものであるとすることでVisibleなライブにしようと考えています。
現在リハーサル中ですが、但馬さんが加入して初めて完成した新曲も含めて10曲以上プレイするUstワンマンならではのものになりますので、是非11月17日22:00~23:00はライブをご覧いただけると幸いです。

 

さて、前回のザヌの記事にも書いてありますが、彼が「バンドのブログで各メンバーがそれぞれ最近聴いている音楽のレコメンド記事を書くのはどうか」という提案をしてくれました。
このアイデア、いかにも僕が考えそうですが、全く考えてなくて彼の提案にメンバーがのった形です。

ということで、僕は今回はPizzicato Fiveの8枚目のフルアルバム『Overdose』(1994年)について書こうと思います。

 

青野がこういう企画で書き始めたら、「洋楽で」「一昔前の」「(インディーロックやらポストパンクやらトゥイーポップやらシューゲイズやら何やらを含めた広義の)オルタナティヴか(インディトロニカやテクノやニューウェイブやらレイヴを何やらを含めた)電子音楽の範疇の」アルバムについて嬉々として書くだろう…と推測する方が多いと思われるので、あえてそれらから少し離れていて、最近よく聴き返しているPizzicato Fiveについて書くことにしました。

今日の昼は『Overdose』日和な雨上がりの陽の当たる通りで水たまりが反射するような景色だったのもあります(まあ夜は物凄く寒くてかなり久しぶりにデンマークコペンのシューゲイズ/ドリームポップバンド、The Late Paradeの『In Chase of Red Beads』を聴いてたので、それにするか迷ったんですが、先に書いた範疇に入ってしまうのでやめました)。


さてこの『Overdose』、個人的にはPizzicato Fiveのキャリアの中では最も好きなアルバム。このアルバムに出会ったのは高校生の頃に鶴見済さんの著書『人格改造マニュアル』の中の「抗うつ剤の効果を高めるような、あるいは認知療法のBGMになって、明るく、それでいて抑うつ的な時に聴いても嫌にならないような『明るくなる曲』」として紹介される15曲の中で、「ハッピー・サッド」が挙げられていたので、それを手がかりにして、でした。


一般的にはPizzicatoと言えば、彼らがブレイクするきっかけとなった大名曲「スゥイート・ソウル・レヴュー」、
アラビアンなメロディとポップセンスがうまく折衷されたメロディの上にキュートな歌詞、でも"いつまでも2人、遊んで暮らせるなら/同じベッドで抱き合って死ねるなら"なんてドキッとするフレーズも出てきて今年の京都アニメーションの作品『たまこまーけっと』で渋谷系を意識したOP曲「ドラマチック・マーケット・ライド」としてタイトルがオマージュされた名曲「マジック・カーペット・ライド」、
その名の通り、強気で挑発的なグルーヴが魅力でファン人気も高い「我が名はグルーヴィー」、

野宮さん作で愛の楽園を描いているようでどこか空虚でサイケデリアさえ感じられる詩とストリングスとバンドアンサンブルの調和が綺麗なメロディの「ピース・ミュージック」(続く「ストロベリィ・スレイライド」も)

などを序盤(もちろんラスト後半にも「ハレルヤ・ハレクリシュナ」などの陽気なアンセムもあるけれど)に一気にたたみかけるように収録していて、ex-パーフリの小山田さんが共同プロデューサーに就いた『ボサ・ノヴァ2001』が最も名盤にあたると思いますが、個人的には次作のこの『Overdose』の方がより好き。


このアルバムの制作中に小西さんと一緒に残っていたオリジナルメンバーの高浪さんが脱退して、小西さんと野宮さんの2人体制に突入していくんですよね。個人的にはPizzicato Fiveのキャッチフレーズの「ハッピー」「キャッチー」「グルーヴィー」な感じって、野宮さんが加入して以降では前の『ボサ・ノヴァ~』で一旦完成されてると思えてて。

で、ロックをテーマにしたアルバムと言うことで制作されたのが『Overdose』ですが、もちろんエネルギッシュな曲も多いなか(お茶目な彼らのことなんで実際のロックソングって「スーパースター」くらいなんですけど)、全体的なアルバムを覆う雰囲気は相変わらずキャッチーだったりグルーヴィーなんだけど、そこかしこに、その過剰なハッピーに対して拭え切れない翳りのような、ともすれば死の陰すら見え隠れする感じがして。

そもそも『Overdose』ってタイトルから不吉というかドラッギーと言えばドラッギーだし。
ODって言葉がもしクールなものであったとしても、それはグルーヴィーとかファンキーのようにポジティブなものでなくて、ネガティブなクールさ。

このアルバムで歌われているラブソングってどれも、どうしようもなく一方向的な恋でいつか2人でどこかに到達するというよりは、結局擦れ違って、すがってどこにも達しないような…恋と言えば可愛いけれど、もっと根源的に渦巻く欲望のようなものがかなりキュートにコーティングされてる感じがするんですよね。
ハッピーを夢想して、それを過剰摂取するあまり、譫妄的なまでに渦の中にいて、ハッピーに食い殺されそうにさえなっている…と言えばあまりにシリアスに取りすぎてるような感もあるんですけど、そんな情欲が見え隠れします。パーフリの名盤『ヘッド博士の世界塔』でもそうなんですけど、渋谷系のいかにも都会的なオシャレでスタイリッシュな生活をしてる風なスタンスで、多くのジャンルの洋楽からサンプリングした元ネタありきの感のある雰囲気の中で拭えない情欲のようなものがあると言うか。

先に挙げた自分がこのアルバムを聴くきっかけとなった『人格改造マニュアル』の中でも鶴見さんはこう書いてます。
「この分野(注:明るくなる音楽)で多くの人が挙げたのがPizzicatoとBeach Boysだったが(中略)そもそもPizzicatoの曲というのは明るいというより、もっと微妙というか、不安定というか…」
この言葉の通り、Pizzicatoって底抜けの明るいポップスではなくて、不安定だと思えるんですよね(これは渋谷系のオリジネイター全員に言えることですが)。その不安定感が結構『Overdose』は強い。


歌われている都会のスタイリッシュな暮らしも、ともすれば奔放な女の子が自暴自棄とは言わずとも、やけっぱちに恋や欲望に溺れていってる感じがする。あとこのアルバム、全体的に、「お金がないけど遊んでる/遊びたい感じ」が出てるんですよね。全然リッチな生活じゃないっていう。

簡単に1曲ずつ適当にみていっても
「エアプレイン」は軽快なサウンドにのって、「ホールデン・コールフィールド(元ネタはサリンジャーの名著『ライ麦畑でつかまえて』の主人公)みたいとか言われてご機嫌になるようなタイプ」の子供みたいなナイーヴなんだけど活発というか、そういう子がオシャレな生活してるんだけど、綱渡りばかりして、「飛行機に間に合えばそれはそれでいんじゃない?」というどこか気ままに生活してる感じがするし(「税金を払ってりゃそれはそれでいいんじゃない」とか)

自由の女神」も自由奔放に生きる彼を思いながら、その彼の「金色のブレスレットは別れた彼女がお金にかえた」とか出て来たりもするし、「あの子」は「いつもクールで誰とでも寝る」。そして、あの子が寝たのは決して彼ではないし「車はいつか盗まれる」…あと、この曲は高木完さんのラップが良い。

「ハッピー・サッド」は、シングルにもなった名曲で彼らのお決まりのサンプリング「A New Stereophonic Sound Spectacular」が冒頭から出てくるのだけど、やっぱりタイトル通りハッピーでサッドというか、「夕べ手に入れて2人で聴いたレコードの裏表」とか「踊りたくなるようなソウルミュージック/永遠に続く」とかハッピーな情景があるのだけど、「あなた」も私も不安定でハッピーとサッドを交錯していて…歌詞通り、いきなり「突然おわる」という言葉のあとにレコードをバックスピンしたかのように一瞬、音楽がとまって「オーヴァードーズ」と呟かれるのは不吉な感覚さえ覚える。もちろんファンキーでポップな曲なんだけど。

「イフ・アイ・ワー・ア・グルーピー」はかなりシニシズムがあって、右耳から英語で左耳から日本語で同時通訳しているような感じのナレーションで延々と鬱陶しい元グルーピーの戯れ言を聴かされるという。ジャジーな曲調もあって実験的ながら良い曲だけど。

Pizzicatoと言えば、この曲的な感もある大名曲「東京は夜の七時」はアルバムバージョンで10分を超えるアレンジになってるけれど、これまたスタイリッシュなタイトルやサウンドに反して(語り出すと長くなるけどとにかく)どう願っても「あなた」には会えずそれでも「本当に愛しているのに/とても淋しい/早くあなたに会いたい早くあなたに会いたい」と感情を意図的にシャットアウトしたようなボーカリゼーションで難度も連呼されると、譫妄的な感さえ出てくる。底抜けにキャッチーなテクノポップ(シングルでは特に小西さんの好きなプラスチックスからの影響が結構見え隠れする)なサウンドにのってパラノイアックとさえ言える情感が見える。
続く「ヒッピー・デイ」が超ファンキーで少し持ち直す("お金がなけりゃなきゃないでいいけど不景気そうな顔をしないで/口づけるとか愛し合うとか笑うだけなら無料だから"という歌い出しがキュート。エロティックでもありますね)。

そして最後の「陽のあたる大通り」は個人的にPizzicatoの中で最も好きな曲(特にこの『Overdose』に収録されているアルバムver.)で、ソウルフルなバンドサウンドと(ホーンセクションはスピッツ「謝謝!」のそれにとても似ている)ハッピーな曲調ながら歌い出しからすごく陽気に"死ぬ前にたった一度だけでいい/思い切り笑ってみたい/陽のあたる大通りを/口笛吹いて歩いてく"と、ともすれば厭世観さえ感じる夢想的なフレーズが広がる。その明るくキュートな感じがむしろ無邪気なグロテスク的とさえ響く。
"表通りの真ん中で/偶然あなたに出会って/大きな声で名前を呼んで/抱き合ってキスして"、"そしてあなたと朝まで/バラ色のベッドのその中で/たわいのないこと話し続けて/抱き合ってキスして"…とすごくキュートでラブリーな夢想が広がるが、結局夢でしかない。。
"死ぬ前にたった一度だけでいい/思い切り愛されたい/陽のあたる大通りを/口笛吹いて肩を並べて"
"陽のあたる大通りで/涙が出るほど笑ったなら/口笛吹いて歩き出すの/アステアみたいにステップ踏んで"
…という言葉の後に"バイバイ"と何度も何度も連呼されると、どこか背筋が寒くなる感じさえある。
あまりに「素敵な空想」すぎて、怖い。
そして曲の全体を覆うトーンをよりネガティブに(しかし希望を願いながら)押し出したのが、ART-SCHOOLSWAN SONG」のようにも思える。

 

と、こうは言っても、これらは裏で見え隠れする拭えない翳りのようなもので、パッと聴いた感じは渋谷系的なギターポップやジャズ、ソウル、ラウンジ、ソフトロックのエッセンスを切り貼りしたような良質なポップアルバムに仕上がっているのが素敵。

何度も繰り返される「A New Stereophonic Sound Spectacular」もさることながら、やっぱりこの渋谷系の切り貼り感、音楽マニアたちが古今東西の様々な音楽からあらゆる引用、オマージュ、カットアップ、借用などなどをした後に継ぎ接ぎで「いびつなのに極上のポップソング」の地平に終着させるところは、個人的に影響を受けていると思います。Pizzicatoのテーマである「レディメイド」の寄せ集めの感覚もとても素敵(パーフリは「古い墓暴き」と呼んだけど)。


Bathroomsは意図的にネオアコっぽい曲や渋谷系っぽい曲を作らずにいたのだけれど、但馬さんも加入したことだし、一曲はPizzicatoだとかCymbalsみたいな曲があっても良いと思ってます。